知ると喜べない?レディーファーストの本当の意味

こんにちは。

今日の話題は「レディファースト」

レディファースト

...というと、映画やドラマでサッと女性をエスコートしてくれる

素敵な男性のイメージ、や

か弱い女性が力いっぱい開けたドアをサッサと通り抜ける男性を見て

なぜ日本ではレディーファーストが浸透していないんだ!、とか

色々な思いが錯綜するかと思いますが。

今日は

レディファーストって本当に女性を大切にするものなのか?

を見ていきたいと思います。

実は制限だらけのレディーファースト

レディーファーストというと、どこも

男性の女性に対するマナー、礼儀。

として語られることが大多数ですが。

その作法は女性にも求められているんです。

まず...

レディーファーストには作法として女性側は男性が

ドアを開けて通す、椅子を引くなどしない限りは入室や着席をしない。

勝手に自分で飲み物をついで飲んだり、食べ物を食べたりしない。

というものがあります。

つまり...

裏を返せばそれは女性は男性の許し(椅子を引いて座らせる)が

なければ

女性は座ることが出来ない。

食事も

男性が飲み物をついだり、

食べ物を取り分けたり...

が基本。

ですから、

女性は勝手に食べることができない。

その他にも、

車でドアを開けてくれるのは男性、女性は開けてもらってから降りるので

勝手に車から降りて外に出られない。

...なんだか女性は行動が制限されているように感じませんか?

まあ、だからと女性に食べさせないとか座らせない、とか

そんな意地悪をする人は流石にいないとは思いますが。

レディーファースト

というのは

女性に対する「優先」であると同時に

女性の行動が男性によって統制されている

と言えるんですね。

そもそもそ「レディーファーストの起源」って?

諸説あるようですが、よく言われているのは

「弾除け」

要は、

自分が斬られない為に闇討ちのおとりとして女性を先に通す、中に入れる。

上から降ってくる汚物を避ける為に、馬車から守る名目で女性を内側に歩かせる。

毒味役として女性に先に食べさせる、飲ませる。

...と女性を男性の下位に置き、所有物として扱っていたのを

皮肉ってレディーファーストと呼んだ、というものですね。

その他の起源としては、

聖母信仰の影響による、

主君の妻など特定の貴婦人に対する崇拝の他、

騎士道精神の徳目としての弱者庇護の精神から生まれた、

所変わってアメリカ開拓時代は女性の数が少なかったので

自ずと大事にして守られた

というのがレディーファースト。

いずれもそこには

女性を男性よりも弱いもの、

男性が保護して世話してやらないといけない、という

男性優位社会を背景とする女性蔑視があるんですね。

これは言い換えると

プラスの差別

(レディースデーとかシルバーシートとか弱者に対する優遇ですね)

であり、

女性を自立した、男性と対等の存在として見ていない。

ということなのです。

だって、女性だって自分のことぐらい自分で出来るし、

10何キロ、時には20キロ近い子供も抱っこして、

力仕事だって何らと出来ますよね。

...じゃあSawaはレディーファーストされて嬉しくないのか?

そりゃあ嬉しいですよ。

まあ、流石に鞄を持ってくれようとするのは迷惑ですけどね...

(昔、そういう人が居たんです。で、人の鞄なのに扱いがザツい、という…)

でもね、私は作法通りに爽やかに「どうぞ♪」なんていう男性よりも、

通る順番を間違えながらもなんとかドアを押さえていてくれるような

男性の方が好きなんです。

さりげなく、スッと自分が車道側に移動出来なくて、

車が来て慌てて腕を引っ張って内側に寄せようとするような男性、

レディーファーストだからと本当は男性が先に行かないといけない所で

女性を先に通しちゃうような男性、

あるいは昔ながらの女性は三歩下がって、を地でいくような男性の方が

そんな不器用さがなんだか好ましいのです。

なぜなら

そこに「女性を守ろう」という優しい気持ちがあるから。

レディーファーストは元々は女性を弾除け、盾代わりにする

女性蔑視だったかも知れません。

元々は女性をか弱く、男性が保護してやらないといけない、

半人前の存在として見なすものだったかもしれません。

事実、キリスト教社会では長い間、

女性はアダムのあばら骨から産まれた存在だから、とか

エバは蛇に騙されてアダムを唆した存在、であるとか

アダムは知恵の実を一つしか食べなかったからそれが喉仏になり

エバは抑制が出来ずに二つも食べてしまったからそれが一対の胸になったんだ、とか

何かと聖書を元に実しやかに女性は男性よりも劣る存在として

扱われてきた歴史もあります。

ですが、

今は時代は変わり、その形だけが残り

女性への思い遣り

として姿を変えています。

男性と女性はただ生まれ持った特質が違うだけ

それぞれ違う得意分野が与えられているだけ

どちらも同じ、対等な存在です。

実際には女性も力仕事も含めて大抵のことは自力で出来ます。

でも。

例え能力は対等であっても、腕力は女性の方が弱い。

身体の作りも女性の方が繊細。

夜道で襲われでもしたら、ちょっと護身術しているぐらいでは

女は男には力では太刀打ち出来ない。

ドアぐらい自分で開けられるけど、分厚くて重たい扉を開けるのに

一生懸命「よいしょっ」と開けるよりはちょっと手を貸してくれたら嬉しい。

自分でも持ち上げられるけど、重たい荷物を高いところに上げるのは大変。

男性よりか弱いから、体力がないから、と

女性をアシスタントや雑用として使うのではなく、

別に作法通りじゃなくても、不格好でも、

女性に優しく。

お互いに対等ではあるけれど、

より繊細で、力の弱い女性には進んで親切に。

自分で出来ることでも手を貸してくれたなら

素直に「ありがとう」

でも女性も甘えずに自分のことは自分で。

そういう精神こそがレディーファースト

と言えるのではないしょうか。

それでは、今日はこの辺で。

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