シーア派にまつわる誤解~シーアの言い分~



アッサラームアレイクム

  前回はスンナ派とシーア派について簡単に書かせて頂きましたが、今回は両者についてもう少し掘り下げてお話ししたいと思います。


~土に額ずく偶像崇拝?~

  スンナ派とシーア派の最も解りやすい違いが礼拝です。シーア派は礼拝で平伏す際は粘土を固めたトルバ、またはモホル(下の写真がそうです)と呼ばれる石に額をあてます。 
 また、石や木といった土からなる食用・着用以外の自然物、ヤシの葉などで作った敷物に額をあてるのも正しいとされています。

地面ならびに食べ物以外の、土からもたらされるもの(たとえば木や葉)、鉱石や大理石の類の石、煉瓦、漆喰、石灰の上に額をつけることは正しい。同様に(木と綿とワラからつくられる)紙の上に額をつけることも正しい。食べ物や衣類、絨毯、毛氈の類に額をつけることは正しくない。
(明石書店『イランのシーア派イスラーム学の教科書』P.121~122より)




 こちらはしばしば土を拝む偶像崇拝である、という中傷の材料になっているのですが...
 これは「最も良い跪拝は土壌の上である」という伝承が根拠になっており、スンナ派の『サヒーフ・ブハーリー』『サヒーフ・ムスリム』という最も権威あるハディース集でも

大地は跪拝するための場所(マスジド)である。大地は清浄のためにある
大地は私達が跪拝するための場所として創られた。土は浄化のためにある 

 と預言者(彼と彼の家族に祝福と平安あれ)が言われたというハディースが残されています。

 また、ヤシの葉で作った敷物で跪拝したという伝承も残っているから、シーア派はこれらのものに額づくのも預言者(彼と彼の家族に祝福と平安あれ)のスンナ(慣行)としています。

 それ以外にも『スナン』と呼ばれるブハーリー、ムスリムに次いで信憑性のある真正ハディース集の一つ『スナン・アル=イマーム・アル=ナサーイー』でも
 
 「クタイバが言った。アッバードがムハンマド・イブン・アムルから、彼はサイード・イブン・アル=ハルサから、 彼はジャービル・イブン・アブド・アッラーから聞いて伝えた。私達が神の使徒(S)と共にズフルの礼拝を行った時、私は片手で小石をすくい取り、掌でしばらく冷ましてかもう片方の手にのせた。そして跪拝のときに額をその上に当てるようにした


という報告があり、彼らが預言者(彼と彼の家族に平安あれ)と礼拝する際に石を用いたことが分かります。

 ですからシーア派がトルバに額づくのはシーアの創作でも何でもなく、アッラーの為に土の上に平伏すためであり、決して土に平伏して土の塊を拝んでいるわけではないのです。

 そして、スンナ派でもマーリク学派と呼ばれる法学派では、礼拝時に顔と両手を土以外のものに触れさせる行為はモスクの絨毯を除いて、マクルーフ(許されてはいるが嫌悪される行為)とされており、基本的には土や草、石などの自然物の上や藁などで作ったマットの上がより望ましいとされています。


~腕は組む?降ろす?~ 次に、シーア派は礼拝時には両手を組まずに左右に降ろして行います(サドル式といいます)。
 これもシーアがしばしば非難される理由のひとつなのですが、実は先ほどのスンナ派マーリク学派も礼拝時は同じように両腕を降ろします。
 他の3学派はカブド式といって両腕を胸また腹辺りで組み、法学によっては義務とされています。
(マーリク学派では両腕を添える行為は任意の礼拝では許されるが、義務の礼拝ではマクルーフ)

*ただ、私の主人やその身内、別のマーリク派の知人もそうなのですが、マーリク法学の追従者でも 実際には腕を組むカブド式で行っていることが多いようです。


~礼拝は合わせても良い?~ イスラームでは夜明け前(ファジュル)と正午過ぎ(ゾフル)、午後(アスル)、日没(マグリブ)、夜(イシャー)と一日5回の礼拝が義務として定められています。
 これは(後から埋めあわせは出来ますが)定められた時間に行わなければならないのですが、シーア派は3回にまとめて行います。これはファジュルを朝に行ったあと、午後にゾフルとアスル、日没後にマグリブとイシャーと礼拝を合わせて行うからです。
 スンナ派では二つの礼拝を合わせることは旅の途中や危機の時など、特定の状況下のみにおいて許され、定刻よりも早い礼拝は無効とされているのですが...

本当に礼拝には、信者に対し定められた時刻の掟がある(クルアーン4:103)
  シーア派は旅や危機に関係なく平常時にも合わせて行っても良いとしています。これはゾフルとアスル、マグリブとイシャーはそれぞれ正午から日没、日没から深夜まで、という同じ区分の時間帯にあり、預言者(彼と彼の家族に祝福と平安あれ)のスンナが残されているからです

”ムスリムはイブン・アッバースが次のように語ったとも報告している。
 「『預言者は、危険に面していないとき、旅をしていないときにもメディーナでズフルとアスルの礼拝を 合わせて行いました。またマグリブとイシャーも合わせて行いました』それで私(ムスリム)はアッバースに『なぜ合わせて礼拝されたのだろうか』と尋ねると、アバースは『彼のウンマから困難をなくすために』と答えた



イブン・アッバースはアスル(午後の礼拝)の後、私たちに説教をしていた。それは日没後に星が現れるときまで続いた。それから人びとがアル・サラート、アル・サラートと呼んでいたとき、バヌ・タミームの男がアッバースのところにやって来てアッバースが彼に言った。『母無しの息子よ。私にスンナを教えるのか』それから彼は言った。 『私は神の使徒(S)がズフルとアスルを共に行い、マグリブとイシャーを合わせて行っているのを見た』
(サヒーフ・ムスリム)
    

”アーダムはシューバフがこう述べたと語った。「アムル・イブン・ディーナールがこう言うのを聞いた『私はジャービル・イブン・ザイドがイブン・アッバースの言葉を語るのを聞いた。預言者は七回のラクア(マグリブとイシャー)を合わせて行い、また八回のラクア(ズフルとアスル)を合わせて行った』

私はアブー・イママーが言うのを聞いた。「私たちはウマル・イブン・アブド・ル・アズィーズと共にズフルの礼拝をしてから 外に出てまた戻ってくると、アナス・イブン・マーリクがアスルの礼拝をしていた。私が『どの礼拝をしていたのか』と尋ねると、アナスは『アスルの礼拝だ。預言者と共に行っていた礼拝だ』と答えた」
 (サヒーフ・ブハーリ―)

 これらのことから、シーア派は預言者(彼と彼の家族に祝福と平安あれ)に倣い日に3回の礼拝を行うのですが(もちろんスンナ派と同じように5回で行うこともOKですし、小分けすることは推奨されています)、スンナ派では法学によっては伝承が残っているにも関わらず、旅の途中でも合わせることは禁止だったり、特定の状況下のみであったり、と条件が違うようです。
 これは預言者(彼と彼の家族に平安あれ)のみならず教友たち(彼らにアッラーのご満悦あれ)も行っていたことなのですが...なぜスンナ派は平常時は禁じているのかは分からないので(すみません)、インシャアッラー分ったら載せます。(もしくはご存知の方は是非教えて下さい)


~肖像画はあり?~ ムハンマド(彼と彼の家族に祝福と平安あれ)風刺画事件などでも知られるように、イスラームでは偶像崇拝が禁じられていることは皆さんもご承知のことかと思います。そして、預言者などの絵を描くのも偶像崇拝に通じるのでいけない、と言われています。

ですが...

実はシーア派は肖像画三昧です。

 肖像画三昧って偶像崇拝じゃないのか!と言われそうなのですが、これは意思(ニーヤ)の問題で肖像画を掲げたとしても、崇拝するのはアッラーのみ、礼拝を捧げるのはアッラーのみの為であり、その肖像を掲げる行為に崇拝の意図がなければOKなのがシーア派なんですね。

 例えばある人が愛する誰かの写真を持ち歩いたり、そのデータを携帯に入れているからとその人がその”写真”や”写真に写っている人”を崇拝していることになるでしょうか?
 あるいは尊敬する国王の写真を家に飾っているからと、クルアーンの入ったケースに口づけをしたからと”その国王”や”クルアーンそれ自体、またはケース” を崇拝していることにはなりませんよね。
 写真を持ち歩いたり、飾ったりするのはただ愛して尊敬しているからであり、クルアーンに口づけするのは神の言葉、アッラーを讃えるがゆえのものであり、その行為それ自体は崇拝行為ではありません。
 シーア派が(そこに崇拝の意図がない限り)肖像画をOKとしているのにはこういった理由もあるのです。(勿論、肖像画などを描くことは不遜な行為には変わりないので好ましいものではありません

 また、シーア派はスーフィズムの影響もあり聖人のお墓に参って、とりなしを求める、あやかる、といったことも許されているので、こういった考えも肖像画に表れているのかも知れません。
(こうして見ると、シーア派はキリスト教のカトリックと性格が似ていますね。カトリックでもしばしば聖母マリアにとりなしをもとめたり、好きな聖人にあやかってメダイを身につけたり、といういったことをしますし...)
 因みに「墓参り」は、イスラームでは宗教儀礼としての祖霊信仰は禁じられてはいますが、預言者(彼と彼の家族に祝福と平安あれ)も母アーミナの墓所を訪ねたり、信徒に異教徒の母の墓参りに行くことを許したリ、という伝承を見たことがあるのでそれ自体は必ずしも禁止ではないと思われます。

*絵本や映画などはシーア派地域でもはスンナ派と同じく預言者や教友の顔は白抜き、顔を隠すなど規制はされます

 ですが、許されているのはあくまで彼らを尊敬し、愛することであり、彼らにあやかったとしても崇拝はしてはいけません
 ですから、例えばイマーム・アリーやその息子であるフサイン(彼らに平安あれ)といった人物を愛してやまなかったとしても、過度に祀りあげて神格化したり、聖人とされる人々やイマームを崇拝したり、信仰の対象にする、といった行為は偶像崇拝にあたるので禁止です

*実はシーア派よくアリーを神格化している、と批判されるのですがそれは誤解と言えます。
 なぜなら誰かを神格化して崇める行為は偶像崇拝であり、シーア派の信仰基盤はアッラーとその使徒ムハンマド(彼と彼の家族に祝福と平安あれ)を信じるところにあり、アリー(彼に平安あれ)はあくまでアッラーのしもべ、盟友と信じているので、彼をアッラ―のしもべである以上、そもそもアリー(彼に平安あれ)の神格化などあり得ないのです。
 ただ、確かにシーア派から派生した一部の分派ではアリー(彼に平安あれ)やイマームを神格化している宗派も存在はしてはいます。ですが「シーア派」というのは原則的にはアリーから12代目のムハンマド・ムンタザル(彼らに平安あれ)までをイマームとする「12イマーム派」のことを差し、それ以外のものは土着の信仰や輪廻転生などイスラーム外からの概念を取り入れていたりと厳密にはシーア派(=12イマーム派)とはまた違うものであり、中には逸脱しているものもあるので、その区別は必要だと思っています。

 イスラームではアッラーを愛することの他に、預言者(彼と彼の家族に平安あれ)を愛することを求められています。
”神の使徒(S)は言った。「あなた方が真の信者となるのは、自分の子どもや父やあらゆる人びとを愛する以上に私を愛することができたときである」”
 

 そして預言者やその家族、子孫(彼らに祝福と平安あれに過度に情愛を抱くことは許されています。ですが、それが行き過ぎてそ崇める行為には至ってはなりません。
 この二つは別のものです。ですのでいくら肖像画OKなシーア派でも、もしそれが人物の神格化や、崇める行為、肖像画自体が崇拝の対象のようになるのは当然、偶像崇拝でイスラームから逸脱した行為なので、それは大罪です
(もちろん風刺画のように我らが預言者様を馬鹿にした絵も許しませんよ!)

*シーア派にはとても見目麗しい預言者(彼と彼の家族に祝福と平安あれ)やイマーム達(彼らに平安あれ)の肖像画や歴史的シーンを描いた絵などが沢山あるのですが、スンナ派はNGなので載せるのはやめておきますね。
 ノンムスリムやただ肖像画のお顔を拝見するだけなら...という方はご自身にて検索をしてみてください。


いかがでしたか?何かと誤解も多いシーア派ですが、なるほど~こういう考えなのね!というのが伝わると嬉しいです。

それでは、マァサラーマ~


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