ムスリムたちは誰にしたがうのか?~スンナ派とシーア派~



アッサラームアレイクム

 こんにちは。今日はイスラム教の2大宗派、スンナ派とシーア派についてです。
(スンナ派はニュースなどでは「スンニ派」と呼ばれることが多いのですが、こちらではスンナ派と呼びます)


 スンナ派とシーア派、よく聞くけれど一体何が違うのでしょうか?
 初めに、スンナ派とシーア派は両者ともアッラーとクルアーンを信じ、預言者ムハンマド(彼とその家族に平安と祝福あれ)の慣行に従うところまでは同じです。
 ですが、誰を正統な後継者とするか、模範として倣うべき人々、そしてアハルル・バイト(預言者の家族)は誰か、で見解が違います。


 まずはスンナ派。こちらはムハンマド(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)の家族はまず、信徒の母アーイシャ(ご満悦あれ)を始めとする妻たちであり、その次に娘のファーティマと婿のアリー、ハサンとフサインの二人の孫(彼らに平安あれ)を含むとしています。また妻や教友の慣行も預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)と同等のものとして模範に含まれます。
 スンナ派の「スンナ」とは預言者(彼と彼の家族に祝福と平安あれ)の慣行(=スンナ)を指し、それに従うものという意味からスンナ派と呼ばれるようになり、ムスリム全体の9割ほどを占めます。


 対し、シーア派は預言者ムハンマド(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)の家族はアリーとファーティマ、ハサン、フサイン(彼らに平安あれ)であり、従うべきはその一家と子孫としています。原則妻達や教友は模範には含みません。(尊敬しない、という意味ではなく、あくまで「模範」は預言者とその家族である、と意味です。)
 加えてシーア派では預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)とその家族はアッラーによって浄化され不浄を取り払われた誤謬絶無(間違いを犯さない)の人々とみなされ、クルアーンの正しい解釈が出来るのは彼らのみ、その知識も彼らによって継承されていると信じられています。


” 家の者たちよ,アッラーはあなたがたから不浄を払い,あなたがたが清浄であることを望まれる。”(クルアーン33:33)

”アーイシャは次のように伝えている。                                    預言者は朝、黒いらくだの 毛の縞模様の上衣を着て出掛けた。そこにハサン・ビン・アリが来た。すると預言者は彼(ハサン)をその中に入れて包み込んだ。 それからフサインがやって 来たが、預言者は彼(フサイン)も一緒にその中に入れて包み込んだ。次にまた(父親の)アリーが来たので彼をその中に入れた。 そして預言者は次のように 読んだ。『お前達お家の者達よ、アッラーはひたすらお前達から汚れを払いお前達を清浄にしてやることを望まれている』”(サヒーフ・ムスリム)
 
*スンナ派ではこのクルアーン33章33節の不浄を取り払われた「家の者」は、前後の文節から預言者の妻たちである、と解釈されています。


 シーア派は語源は「ムシャァアーフ(「従う」の意)」にあり、預言者(彼と彼の家族に平安あれ)が「別れの巡礼」と呼ばれる最後のメッカ巡礼の帰りに行った説教の中で「アリーをマウラー(指導者)とするものは私をマウラーとする」とアリーの手を取って言われ、自分の死後はアリーに従うように指示されたこと(「ガディール・フンムの伝承」)と、その他の様々な預言者(彼と彼の家族に平安あれ)の言葉から後継者は従弟にして娘婿のアリー(彼に平安あれ)であると考えています。
 そして彼らは後に「アリーの従者」を意味する”シ―アットアリー”と呼ばれるようになりました。この”シ―アットアリー”が縮まったのが「シーア」つまりシーア派です。
 このことからシーア派はアリー以前の正統カリフであるアブー・バクル、ウマル、ウスマーンは正統な後継者として認めず、アリー(彼に平安あれ)を初代イマーム(指導者)としています。

*「イマーム」の意味はスンナ派とシーア派でも違います。シーア派では共同体をまとめる指導者を意味しますが、スンナ派では礼拝の先導をする人をイマームと言います。

 シーア派とスンナ派が本格的に分かれてしまったのはアリーの4代目正統カリフ就任後のことで、現在のシリアに勢力を誇っていたウマイヤ家はアリーと対立していました。
 3代カリフのウスマーンが暗殺された際、ウマイヤ家はウスマーンの血の代償としてアリーに戦いをしかけ、ウスマーン政権に反対していたアーイシャと一部の教友も立場を変えてウマイヤ側につきます。
 これはラクダの戦いと呼ばれ、アリーはそれを鎮圧したのですが、この戦いによって両サイドから大勢の死者が出ました。ラクダの戦いの後はスィッフィーンの戦いを経て、アリーはムアーウィアとの講和を試みるのですが、この時のアリーの妥協的態度に一部の支持者が反旗を翻し(ハワーリジュ派と呼ばれます)アリーは彼らに暗殺されます。
 アリー暗殺後、ウマイヤ家のムアーウィアはウマイヤ朝を作り自らはカリフに、カリフの選出も世襲制に変えてしまいました。ムアーウィヤの死後、息子ヤズィドはクーファ(現在のイラク)で起こったフサインとその支持者および縁者による蜂起で彼らを虐殺(カルバラーの悲劇)、ウマイヤ朝はその後90年ほど続きます。
 この対立により、ウマイヤ朝に従った大勢が後のスンナ派、ウマイヤ朝に反対していた一部のアリー支持者がシーア派となります。
(注:だからと言ってスンナ派とシーア派が敵同士である、宗教対立がある、ということではないですよ!!!)


ところで...

 先ほどから何かと人物名の後ろに(平安あれ)だの(彼と~)(アッラーの~)だの色々書いていてこれは一体何なんだ?と思っている方、大勢いらっしゃるかと思います。
 これはですね、私たちムスリムは預言者やその一族、教友、妻達の名前を口にしたり書いたりする時は彼らに祝福を送り、平安を祈るのがマナーなのです。
(省略してSAWS,S,SAW,AS,RAといった表記をすることもあります。)

そして、実はこの文言もスンナ派とシーア派では違います。

 まずスンナ派は(分かりやすいようにカタカナに転写します)「サッラッラーフ・アレイヒ・サラーム(彼にアッラーの祝福と平安あれ)」
 シーア派は「サッラッラーフ・アレイヒワアーリヒ・サラーム(彼と彼の家族にアッラーの祝福と平安あれ)」と「彼の家族」という文言が追加されています。
 これはシーア派では預言者の家族(娘一家)は預言者同様、アッラーから不浄を取り払われた人々であり、その家族にも敬意を払い挨拶を送るのは義務であり、預言者が求めた通りに完全な挨拶をしないと、その祝福は受け入れらないとされているからです。

”本当にアッラーと天使たちは、聖預言者を祝福する。信仰する者たちよ、あなたがたはかれを祝福し、(最大の)敬意を払って挨拶しなさい。”(クルアーン33:56)
 

”ムスリムが預言者に「我々は貴方にどうやって敬意を払えばよいのでしょうか?」と尋ねた時、
 預言者は「言いなさい。『おお、アッラーよ、ムハンマドとその家族に祝福あれ』(サヒーフ・ブハーリー)

 また、スンナ派では「平安あれ」という文言はムハンマドおよびムハンマド以前のヌーフ(ノア)、ムーサー(モーゼ)、イーサー(イエス)といった預言者たち(彼らに平安あれ)のみに使うもの、とされているのですが、
 『サヒーフ・ブハーリー』と呼ばれる、スンナ派のハディース集でアリー(彼に平安あれ)やフサイン(彼に平安あれ)について語る際に預言者同様「平安あれ」の表現が使われている報告があり、このことからもシーア派はアリー(彼に平安あれ)やその子孫にも「平安あれ」と祈ります。(スンナ派は家族や妻、教友には「ご満悦あれ」「ご慈悲がありますように」と言います。)


ちなみに...
 シーア派はウマイヤ朝との政治的対立を皮切りにイスラームから切り離され、今でも一部のスンナ派ムスリムからは誤解や偏見から異端視されたり、後から他宗教の思想を取り入れて出来た、もはやイスラームとは別物の新宗派のように言われたりすることもあるのですが...

 実際はスンナ派法学で最も古いハナフィー学派の祖であるアブー・ハニーファ、そしてその弟子でもあったマーリク・イブン・アナス(マーリク学派の祖)はシーア派6代イマームのジャアファル・サーディク(彼に平安あれ)も師の一人としており、
 その後の法学が形成され始めた時代はスンナ派もシーア派もお互いに学者が行き来して学び合うなどの交流もあり、両者は互いに通じるものも持っているのです。
 4大法学が出来たのは大体8~9世紀頃ですが、法学的にはシーア派のジャアファル法学が一番早く成立し、法学が形成されるまでの間シーア派では祖父から父、父から子へと知識とスンナが受け継がれていきました。

 先述のようにイスラーム世界では一部のスンナ派はシーア派を異端視したり、一部のシーア派も初代~3代目正統カリフやアリーと対立したアーイシャをひどく嫌悪して敵意を持っていたり、時には宗教指導者までもが両者の対立を煽るような発言、振る舞いをするなど、まだまだ溝はあるようです。(例えばシーア派から見ても逸脱した一部の極端なグループを「シーア派」として紹介するなど)

 この記事を読んでいる方にもシーア派に対して必ずしも快く思わない方や、その逆の方もいるかも知れません。ですが、分裂してはしまったもののイスラームは両者ともひっくるめてイスラームであり、一つの共同体です。
 道筋は違えど私達ムスリムが正しい道に導かれることを祈っています。

 今回はざっと概要をお話しをしましたが、今度はスンナ派とシーア派の違いと共通点について具体的一例も、交えながらお話しいていけたらと思います。

それでは、また次回。マァサラーマ!


シーア派の法学であるジャーファリー法学は1959年7月レバノンで発行された、宗教布告で正式にスンナ派4大学派と同様、イスラームの正統な法学派としてエジプトのアズハル大学の総長に認められました。
(以下『イスラーム ムスリムとして知っておくべきこと』
 http://www.geocities.jp/ahulal_bayt/islam-questions/islam-f21.html より抜粋)

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1.「非ムジュタヒド」(イスラームの法的解釈の資格を持たない者)は、信仰における 敬虔さと知識が認められたウラマー(ムスリム法学者)により、直接または間接的に、正確またはそれにほぼ近い意見が受けた場合、そのウラマーの意見に従うことが認められている。一部の書には、四法学派のみに従わねばならないとか、一つの法学派から別の法学派に移ることは許されないとの見解が主張されているが、このような主張に影響されてはならない。
 

アブドルサラームの息子、シャイフ・イッズッディーンは言った。
 「かつてムスリムは法学派に関係なく、自分が出会ったアリム(ムスリム学者)からイスラーム法に関する情報を得ていた。このような情報入手法が(ムスリム学者によって)認められなくなったのはスンナ派四法学が始まったときからのことであり、 証拠のない意見であっても学祖のイマームに従わねばならないとの封建的やり方に変容してからのことである。従者たちは、神の使徒に従うがごとく法学祖に従った。これは真実と健全性から離れた行為であり、思慮ある者には許されない」

2.アリー(アブー・ターリブの息子)の従者で知られる「シーア」という語の起源は、「ムシャヤーアフ(Mushaya-ah)」、すなわち、〈従う〉という意味である。

拠って、ある者のシーアだといえば、その者の従者・教友を示している。
「シーア」という語は、イスラームの基本教義に同意せぬ多くの集団に対して用い られているが、そういった集団はイスラームの外にあり、そのような集団の教義に従うことは許されない。

3.そのような集団とは別に、「アリー」につながる集団がある。彼らは正しく導かれた シーアであり、彼らは間違った導きに従う者を非難している。

この良きシーア集団は「ジャーファリ法学派」または「イマーミ・イスナ・アシャリ」 (12イマーム派)として知られている。

4.この良く知られた一団は、信仰基盤とイスラーム法両者において神の書並びに預言者の言行からの教えに従い、彼らのイマームたちを介して預言者まで遡るものである。     

ジャーファリ法学派とスンニ法学派の相違はスンニ法学派間の違いを超えるものではない。    ジャーファリ従者は、栄光のクルアーンと預言者のとある教えが述べているところの、イスラームの基本理念を信じる。
彼らの信じるイスラーム法のすべてがイスラームの教えに含まれるものであることは白明であり、
ムスリムにはこの法学派を認める義務がある。 これを否定する者はイスラームから排除される。

5.ジャーファリ法学派のイスラーム法は完全に記録されており、知られたものである。 

この法学派は独自の書を持ち、(預言者とイマームたちの言葉を伝えた)伝承報告者、
並びに根拠となる証拠を有する。それらの書の著者および伝承報告者はよく 知られており、
彼らの学問上かつ法学上の地位は、ムスリム学者の間で尊敬されている。
 

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