財政理論の歴史から社会の発展がわかる!

「財政理論」とは、政府の経済活動の分析を行う理論のことで、
政府の支出、税、公債の発行が
民間経済にどう影響を与えるのかを分析するものです。

この「財政理論」を扱う学問を「財政学」といい、
これまでの歴史で様々な展開をみせています。

この展開を追うことにより、
社会の発展の歴史を感じ取れるのです。

「財政学」は「ケインズ」という20世紀イギリスの経済学者を境に
大きく二つの局面に分けることができます。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/)
今回は、この「ケインズ」以前の理論について見ていきます。

産業革命期の理論

18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業革命は、
イギリスから始まり世界に広がりました。

手工業が中心であった生産体制が、
機械の発明に伴う生産技術の発展
石炭を利用するというエネルギーの変革によって、
工場制機械工業に変わりました。

それにより、社会の構造も大きく変化し、
資本家と労働者という構図を生みだすこととなったのです。

この変革の影響を受け、近代的な財政理論が形成され、
「アダム・スミス」が「国富論」を1776年に発表しました。

「アダム・スミス」の主張は、
個々の経済主体の自由な活動により、民間の市場は調和する
というものでした。

彼は、この自然に起こる調和のことを「神の見えざる手」といい、
政府の役割は限定的であるべきだとしました。

国家の役割が少ない方が、
市場経済は効率化するという考え方なのですね。


しかし、貧富の差が発生

政府の役割が最小限であるべきだとされていた産業革命期でしたが、
資本家と労働者の間の貧富の差が顕著になってきました。

イギリスは当時、最も工業化が進んだ国であり、
「世界の工場」とされましたが、
それと同時に、都市部には大量の貧民が存在していました。

この貧富の格差は、社会に不公平感を漂わせ、
改革の必要性が訴えられるようになりました。

このような時代に「J.S.ミル」は、1848年の「経済学原理」のなかで、
政府の財政の役割として、所得分配の公平化が必要とされるとし、
政府が市場経済に介入することの必要性を主張しました。

帝国主義の時代へ

19世紀後半には、先進国は対外に植民地を求めはじめ、
政府は以前と比較して多くの財源を必要とするようになりました。

経済理論もこの状況に即し、
財政を支えるための十分な租税調達の必要性を訴えるものが主流となりました。


世界恐慌の発生

20世紀に入り、1929年に始まった世界恐慌は、
財政理論にも大きく影響を与えました。

世界恐慌以前は、
政府は経済に介入すべきでないという風潮が主流でしたが、
この「自由放任経済」に行き詰まりがみられたのです。

この大不況を克服するために、
財政学でも大きな変革が起こり、
「ケインズ」の理論が登場します。

「ケインズ」は、1936年の「雇用・利子および貨幣の一般理論」のなかで、
政府による積極的な経済政策の必要性を説き、
政府の公共投資により需要を増やし、
景気を拡大して失業をなくすことが必要であるとしました。

ケインズの理論を支持するケインズ学派の理論は
その後、第二次世界大戦後でも主流のままで、
政府は、不況期には財政支出の拡大や減税を行い、
好況期には財政支出を抑え増税を行うというように、
積極的な経済政策により
景気の変動を安定化させるべきであるとされました。

この理論により、政府の役割は大きくなり、
産業革命期とは逆の結論に至ることになりました。

しかし、順調かと思われたこの「ケインズ理論」にも
行き詰まりがみられる事態となります。

次回は、「ケインズ」以後の財政理論をみていきたいと思います。

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