血まみれの追悼祭?アーシュラーのお話し

(「特派員ママ@イラン」http://ameblo.jp/iranmama/entry-11694636191.html)


アッサラームアレイコム
今日はシーア派最大のお祭り「アーシューラー」についてのお話しです。
この「アーシュラー」、今年は今週の金曜日がそれに当たり、
これ自体はスンナ派、シーア派問わずイスラム共通の行事なのですが、
両者の間ではその意味合いと扱いで大きな違いがあります。

~アーシュラーって?~

アーシュラーの祭事は西暦680年(ヒジュラ暦61年)に起こった

「カルバラーの悲劇」

というウマイヤ朝2代カリフ、ヤズィド・イブン・ムアーウィアの軍と
預言者(彼とその家族に平安と祝福あれ)の孫、
フサイン・イブン・アリー(彼に平安あれ)の戦いに由来します。
 
アーシュラーはそれ自体は元々はユダヤ教から引き継がれた 

贖罪の日

なのですが、
シーア派ではフサイン(彼に平安あれ)の殉教がこの日に重なったことから、

哀悼の日となり現在も各地で一大行事として引き継がれています。
 
この戦いではフサインおよびその従者計72名が
約三万のウマイヤ軍に包囲、虐殺され
当時のムスリム達に大きなショックを与えました。

そしてこのアーシュラー、主役は「ダステ」と呼ばれる行列。
そこに参加する男性陣なのですが彼らは何をするのかというと...

なんだかものすごく巨大で重たい物体を運ぶ...

ホ~セイン!ホ~セイン!と叫びながら胸を打ち始める。

額を刃物で切る!!!( ̄□ ̄;

鎖で背中や身体を打ちまくる!!!!( ̄□ ̄;

なんか自分の体を切りつけている人もいる!!!!!( ̄□ ̄;


最後はみんな血まみれ!!!!!!!!!!( ̄□ ̄;;;



...と、まあちょっと(いや、かなり?)ドン引きなお祭りなんですが...

要はアーシュラーというのはムハッラム月(ヒジュラ暦1月)10日に起こった
カルバラーの悲劇でフサイン様が(彼に平安あれ)圧政者(←彼らにとっては)に
立ち向かい、壮絶な戦いの末、イスラームの為に殉教された日なので、
自分たちも身体を痛めつけることで彼らの苦しみを追体験し悼む。

...という行事です。

(今のように盛大に追悼行事が行われるようになったのは
10世紀にイラクで興った12イマーム派王朝・ブワイフ朝時代からのようです。
それ以前はこういったことは私的に行われていたようです。)

そして、

男達は血まみれになり

女達は泣き叫ぶ、男も号泣する!!!

これ、重要

聞くところによると

フサイン(彼に平安あれ)の為に流された
涙は地獄の火を消す。

とシーア界では言われているそうで。

アーシュラーの時はシーア派地域ではあちこちでカルバラーの悲劇を
再現した劇や朗読が行われます。
(あ、因みに私は一度も泣いたことはありません。
もちろん、カルバラーの話しは本当に悲惨で居た堪れないんですけどね...。)

これ、スンナ派や非ムスリムには恐らくなかなか理解は難しいところだと思われ。
(正直私も引いていたり...)
自分を傷つけて血まみれって極端にほどがあるのですが、

イランなどでは本当はアーシュラーで刃物を使って
血まみれになるような行為をするのは
政府によって禁じられているんですね。

また、預言者は(彼と彼の家族に祝福と平安あれ)
ジャーヒリーヤ時代のように身体を引っぱたいたり傷つけたりしては
ならないともおっしゃっているので本当はよろしくないはずなのですが...
まだまだ地方や一部地域では健在で額カットといった極端な行いがされています。
(この辺りはアーシュラーで検索をかけると写真がいっぱい)
 
ただ、胸を叩く行為は(当然ですが)シーア教義には含まれませんが、

預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)の一族、
孫の殉教を悲しむ悼む行為であり、
そういう意図(純粋にフサインの死を悼む)ということで許される。

とされているようです。

~カルバラーの悲劇って?~

そもそも始まりはムアーウィヤがイマーム・フサインの
兄ハサンとの約束を破り、息子ヤズィドにカリフ位を譲ったことにあります。
実はイマーム・ハサンは生前にカリフ位を退く際に(ハサンは父アリーの没後、
ムアーウィヤに対抗してカリフ即位の宣言をしていました)、

ムアーウィヤとハサンの没後は 

カリフの資格を弟フサインに返還する。

という密約をクルアーンとスンナに従うという条件と共にかわして
メディナに隠匿したのですが...
ムアーウィヤは 

カリフ位を息子ヤズィドに継がせてしまった

そして、ヤズィドはフサインに、自分に忠誠を誓うか
さもなければ首を送ってよこせ、と迫ります。
(ちなみにムアーウィヤは遺言でアリーの息子を厚遇せよ、
忠誠の近いを拒否したとしてもそっとしておけ、と忠告していました。
また、自身もフサインには忠誠を強要はしていませんでした。)

この通告の後、フサイン一行は一晩の猶予をもらい、マッカへ移動します。
これはカルバラーの悲劇の5か月ほど前になります。
その後、彼らは巡礼月(ズール・ヒッジャ、イスラーム暦12番目の月)に
かかる頃まで避難生活を送ります。

その頃イラクのクーファの人々はフサインに自分たちも
共に戦うから不正を覆す為に自分たちの指導者としてクーファに
来てほしいとしきりに要請をしていました。
フサインは使者を送り、彼らの気持ちはどうやら本物らしい、
というのでイラクへの出発を決め進軍をするのですが...

その動きはウマイヤ朝側に察知されており、クーファまであと数日、
というところで彼らは待ち伏せをされるんですね。
その地が現在のイラクにある「カルバラー」です。
フサイン軍には女子供を除いて兵力になる男子は72名しかいませんでした。
フサイン軍はヤズィド軍に包囲され、ユーフラテスの水源も絶たれ喉の渇きに苦しみます。

しかしクーファからの援軍は来ることはなく、最後は殉教され、
生き残った人々は捕虜としてクーファ、そして首都ダマスカスに連行されました。

ヤズィドも流石に彼らを殺すことはしませんでしたが、
フサインの息子アリーや妹ザイナブはしばらくの間、捕虜として
ヤズィドのもとで捕えられていたと伝えられています。


実は...

フサイン軍が包囲されていた時、クーファは既に制圧されており、
彼らは援軍を送ることが出来ませんでした。

その為、アーシュラーはシーアにとっては

自分達でイマームを呼び出しておきながら裏切ってしまった。

むざむざとウマイヤに殺させてしまった。

という自責の念の現れでもあるのです。


その際、フサインの首は首点検の後にカルバラーに送り返され、
その遺体と共に埋葬されました。
(一説にはヤズィドはフサインの殉教は想定外で後になってからその殺害を知り、
首が送られた時はその首をかき抱いて泣いた、なんて話しもありますが...
アリー家の粉砕を記念して祝祭にした、という話しもあったり、
個人的にはもう少しつっこんで調べてみたい事件です。)
 
  
~カルバラーのお話し~
それでは、最後に「カルバラーの悲劇」のストーリーを紹介しましょう。
(ブログ「イランの空の下で」内 澤田沙葉訳書の引用より抜粋)
*大分長いので、イマームが亡くなる最期の日の描写のみ引用します。

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イマーム・フセイン(A.S.)は、その敵に対して神の愛を説き、預言者に従い、

悪から遠ざかるよう勧め、最後に尋ねた:

”何故あなたたちは私を殺そうとするのか?”

”私は何か罪を犯したのか?”
”私は誰かから略奪した事があるか?”
”私は誰かの事柄に干渉した事があるか?”


皆は、ただ黙っているだけで答えなかった。そこでイマームは質問を続けた。


”それでは一体あなたたちは何故私を殺す事を望むのか?

復活の日にあなたたちは、神そして預言者に何と答えるつもりか?” と。

”あなたたちは私の全ての同僚、私の子供達、私の兄弟達、小さな子供に至るまで

殺した。いよいよ私の番である。私を自由にしなさい。私はイェーメン、イラン

あるいはインド・・・何処にでも行く。

あなたたちの手を預言者の血である、私の血で濡らしてはならない。

もし、そうすれば、あなたたちに救いは無い。それはあなたたちが決める事である。

私は言う:私の血を流してはならない。自分たちを救いなさい” と。


イマームは、全ての神の同僚を失い、わずか6カ月の幼児を捧げ、自分自身は

頭から足まで傷つきながらただ一人、彼を包囲している人々の中に立って、

人々に「神の道」に加わるよう、最後の呼びかけを次のように行った。


”私を助ける助け手はいないのか?”

”敵が聖預言者の家族のテントに近付くのを防ぐために、

守る者はいないのか?”


”何千という人の中から、一人も返答する者のいないのを見て、イマームは

声高らかに言った:


”あなたたちには聞こえないのか? 

あなたたちの中には一人のムスリムもいないか?”

イマームが、その取り巻いている人々に、主の道に帰るよう最後の呼びかけを

した時、高熱の為ベッドに横たわり、そして少し前にイマームから次のイマーム

(最高責任者)としての責任を譲られた4代目イマームであるアリー・ザイヌル・アーベディーン(AS)が起き上がり、杖にすがりながら

テントから現れ、父の方に向かって進み、弱々しい声で言った:


”父上よ、ここに私がいます。私がいます” と。


フセイン(AS)は、病気のアリーがよろけながら出てきたのを見て、

彼を叱って言った:


”私の子よ、ベッドに戻りなさい! 

私の子孫(後継者)は、あなたからでなければならない” と。


聖なるイマーム・フセイン(A.S.)の呼びかけに応じて天から

”われわれが此処にいる” という神秘的な声が聞こえ、それに対してイマームが


”あなたたちすべてに感謝する。しかし、今日はここで私に関心があるのは、

地上の人間です” と答えたと伝えられている。


何故ならば聖イマームは、彼を取り巻いている悪魔的勢力によって、

殉教しなければならない事をしっていたからである。

幼い子を含む全ての信仰深い同僚を失い、自分自身、身体に突き刺さった矢によって、頭から足まで傷つき、血は傷口から流れ、その衣類は同僚や家族らの血によってまみれ、それらの同僚家族の遺体を心ない敵の騎馬の蹄に、踏みつけられないようにテントに移し、3日間飢えと渇きに苦しんだフセイン(AS)が、その愛馬ズル・ジナーの上から天を仰いで、彼の犠牲が受け入れられるように祈るのが見られた。


イマームは、今や焼けつくような砂漠の砂の上に、血の流れる傷を負いながら平伏し、自分の前に砂を集め、自分の額を砂の上につけて、この世の最後の祈りを始めた。かくして遂に傷つけるイマームは、平伏しながら主と交流した。


テントからイマームの姉のザイナプは、弟の最後の戦いを見ていた。

彼女は弟の勇敢な戦いぶりを賛嘆を持って見ていた。

彼女はイマームが敵軍を蹴散らし暫く止まり、その後彼女のテントからは

良く見えない所に駆け去ったので、キャンプの近くの丘に急いで行った。


「ザイナプの丘」として知られる丘の上から、彼女は弟が焼けつくような砂の上に

平伏し、ズル・ジナーが頭を垂れて、彼の上を被うように立っているのを見た。

彼女は、一体そこで何が起こりつつあるのか理解出来なかった。

フセイン(AS)は、今や半意識の状態であった。この状態で彼は昔の全ての預言者達:アーダム、ノア、アブラハム、モーゼそしてメシア・イエスその他の全ての預言者達が、彼の苦難を目撃する為に現れたように感じた。
預言者達は、お互いに彼の苦痛を見るに忍びないと言いながら、次から次へと
去っていくのを見た。彼は彼の祖父である預言者ムハムマド(SAW)、父のアリー
(AS)と兄のハッサン(AS)が、彼の状態に泣いているのを見た。
それから半意識の状態の中で、母のファーティマ(AS)が、泣きながら嘆き悲しみながら:”私のフセインよ、彼らはあなたに何をしたのですか?
私の子よ、彼らの中に一人にもひとかけらの情けもないのですか? 
彼らの中の一人も、あなたが聖預言者の最愛の子であることを認めないのですか?私のフセインよ、あなたが最期の瞬間に誰もあなたの傍にいないのですか?
しかし、私がここにいますよ。私は最後まで膝の上に抱いていますよ”
と言うのを見た。
彼は、母が近くに来て、彼が子供の時いつもしたように、その優しい手を額に当てているように感じた。彼の焼けるような額にヒンヤリとした心地良さを感じ、それは
母の手が彼の額の血と汗を拭っているのだと思った。
そう感じた時、彼の感覚は甦り目を開いた。そうすると彼の馬のズル・ジナーが
太陽の暑い光線から彼を守るようにしているのを見た。
彼は夕べの祈りを終える為には、戦いをやめなければならない事を認識した。
彼は急がないと、敵が彼にそれを完了する時間を与えないかもしれないと感じた。
ウドゥ(洗浄)の為の水はなかった。その為砂漠の焼けるような砂で手と顔を清め、
祈りを始めた。
彼はその祈りを終わり、叩頭したまま主に話しかけた:
”私のアッラーよ!あなたは私が些かの躊躇もなく、ひるむことなく、
不平を言うことなく、私の使命を成し遂げたことの証人であられます。
私の主であり、全宇宙の主よ、私はあなたのご命令に無条件で従い、
あなたのみ摂理に全てを任せました。”
”おぉ、限りなく慈悲深い全宇宙の主よ!
あなたが私に与えられた全てのものを、あなたの道の為に全部捧げました。
あなたのフセインの粗末な犠牲をお受け下さい。
もしあなたの聖なる預言者の子が、何かまだ持っているならば、
それらも全部お捧げします。
しかし主よ! 誤れる者達の罪を赦して下さい!
おぉ、限りなく慈悲深い主よ!” と。
彼がまだその祈りを捧げている時、敵将アムル・サードが兵士たちに
”フセイン(AS)の首を切るよう” 命令した。
兵士たちはイマームの近くに行き、その命令を遂行するには余りにも臆病であり、
フセイン(AS)の剣に脅えていた。アムル・サードがシムルに、
”フセイン(AS)が祈りをしている間に近寄り首を切るよう” 命じた。
彼は最高の報酬を与え、さらに彼自身剣を手に持って一緒に行き、傍にいるからと
言って勇気づけた。2人はフセイン(AS)が、全大宇宙の全能の神に祈り、
平伏しているところへ前進した。
2人がフセイン(AS)の所に到着した時、彼らはフセイン(AS)が何かつぶやいているのを聞いた。シムルは、「フセイン(AS)の家族と同僚を根絶する為にあらゆることを
なし、彼に残虐無道に無慈悲に扱った者達」を呪っているのかもしれないと思った。
彼は、フセイン(AS)が何を言っているのか聞きとる為に、イマームの体の上に
屈みこんで次の言葉を聞いた:
”おぉ、アッラー! 
私はへりくだってあなたが謝れる者達の罪をお赦し下さるようお願いします。
何故ならば、あなたは最も慈悲深く最も赦される方だからです”
フセインが祈りを終わり、残されている力を振り絞って、自分を守る為に立ちあがるかも知れないのを見て、シムルは最も卑怯な方法で殺そうとした。
シムルはフセイン(AS)の背中の上に乗り、持っている件でフセイン(AS)の首を
切り落とそうとした。フセイン(AS)は今や流れ出る血液の為、力を失い、
首をあげる事さえ出来ない状態であった。
一部始終を見ていたザイナプは、アムル・サードとシムルが、
彼女の弟が平伏している所へ近付きつつあるのを見た。
彼女はシムルが剣を持って弟の背中の上に乗るのを見た。
絶望に捕えられ、弟の命を救う最後の試みとして、彼女はフセイン(AS)が
平伏している所へ行き、アムル・サードの前に行って叫んだ:
”おぉ、アムル・サードよ。私はイスラームの預言者の孫娘として、
私の弟の命を救うよう、あなたに訴える” と。
アムル・サードが顔を背けたので、そちらの方に行って:
”おぉ、ワッカスの子サードよ。あなたはここに立って、私の弟が一滴の水も
与えられずに、無慈悲に殺されるのを見ているのか?
神の御名において私は兄の命を救うよう、あなたに訴える” と言った。
サードは彼女の訴えが聞こえないかのように黙って立っていた。
これらの事は全てフセイン(AS)によって見られていた。
そして彼の苦痛を苦悶は大きかった。彼はアムル・サードの侮蔑によって姉が
侮辱されるのを見るに堪えなかった。
フセイン(AS)は、彼女の前で自分の首が切られるのを見るのには、
耐えられない事を知っていた。残された力を振り絞って、フセイン(AS)は
声をあげてザイナプに言った:
”姉よ、直ちにキャンプに戻るよう訴える。
あなたが私に対して抱いている愛の為に、テントに急ぎなさい。
あなたがこれ以上ここにいる事は、私には最大の苦痛だ” と。
ザイナプは激しく泣きじゃくり、悲しみながらキャンプに戻った。
キャンプに戻ると4代目イマームになった甥アリー(AS)が、寝ている病床に
急いだ。彼女は甥を揺すり起こして、彼女が見てきた事を話した。
彼女は甥を支えながら、キャンプの出口に連れて行った。
二人はそこで声もなく黙って立っていた。
2人は大地も二人の悲しみを分かち合っているように感じた。
強い突風が巻き起こって、焼けるような砂漠の赤い砂塵を運んだ。
それはまた、ユウフラテス川の水を波立たせ、奔流は怒れるさざめきのようになった。遥か砂埃のパノラマに、二人は槍の穂先にフセイン(AS)の首を突き刺しているのを見た。2人は戦いの終わりを告げるヤズィド軍のドラムを聞いた。
ザイナプは金切り声をあげて泣いた:
”おぉ、フセイン(AS)よ。私の弟のフセイン(AS)よ!
とうとう彼らはあなたを殺してしまった。
彼らは一滴の水も与えずに、あなたの首を切ってしまった” と。
これらの言葉を言って、彼女は気を失って甥の手の中に倒れかかった。
甥は彼女を静かに床の上に寝かせ、頭を大地の上につけて平伏して言った:
”おぉ、神よ! 私はあなたに全てを任せます。
あなたから我々は来たり、あなたに我々は帰ります” と。
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 以上がカルバラーのお話し、です。
 こちらは劇か何かなので脚色も当然、多分にあるのですが...
 100名にも満たないイマーム・フサインと従者たちの軍が砂漠で3万にも及ぶ大軍によって包囲されただけでなく、3日間喉の渇きに苦しみ、殉教者の中には年端行かない子供達も含まれていた・・・というだけでもその凄惨さは伝わるのではないかと思います。

 ヤズィド軍はフサインの首を切り離したあとそれを投げ、その様子を見た彼の3歳の娘は悲しみのあまりショック死した、彼らは戦いの後、馬の蹄鉄を鋲に打ちかえ殉教者達の遺体を微塵に踏みつぶしたと伝えられています。 
 途中で出てくるアリー・ザイヌル・アービディーンは「イマーム・サッジャード」という尊称でも知られており、以前ラマダーンの記事でも紹介した『権利の書』の著者です。彼は捕虜から開放された後は学問に徹し、生涯をハディースとシャーリアの研究に捧げたと伝えられています。

*因みに引用ではザイナブは姉となっていますが、彼女は妹です。ファーティマの一番上の姉ザイナブを偲んでつけられた名前です。

  さて、今週はアーシュラーに合わせて、シーア派行事の紹介でしたが、次週はまた「偉大な女性」シリーズに戻ります。
 果たして次は誰でしょうか?それではまた、来週。マァッサラーマ~

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