シーア派の困った人たち

アッサラームアレイクム
 今日は前回の"困った人たち"に引き続き、スンナ派とシーア派の争いとシーア内の"困った人たちについて、いちムスリマとしての意見も交えてお話ししていきたいと思います。

 スンナ派(スンニー)とシーアが対立しているのはよく知られている話しの一つだと思います。

 スンナ派とシーア派が対立・分裂したのはそもそもは政治的な理由での権力争いの結果なのですが、(一部の)シーアとスンナ派がいまだに争いをしているのは何故でしょうか?

 その原因ですが...私が見てきた限りでは、現代における政治情勢(政府による弾圧など)やプロバガンダ等によるもの以外は、ほぼすべて千ウン百年ごしの蒸し返しただの水掛け論です。

内容的には
「イマーム・フセインをカルバラーで殺したのはスンニだ!/シーアだ!」
「スンニーが従うウマイヤはイマーム・フセインとその幼子(*生後四カ月だったと伝えられるアリー・アスガル)までもを殺した悪人だ」
「アブー・バクルのカリフ選出は不当だ!/合意だ!」
「アリーはガーディル・フンムで後継者に指名されていた」 
「アブー・バクルたちはアリーの後継者としての権利を奪った」
「スンニーはなぜアハルル・バイトを軽視して彼らに従わないのか(*スンニーも”尊敬”はしています。ですがシーアのように指導者性は認めていません。)」
etc

或るいは、
「なんでスンニーはアリーの敵(*主にムアーウィヤを始めとするウマイヤの面々)を讃えるんだ」
「なぜスンニーはあんなにアーイシャを崇敬するのか(*それはスンニーの自由)」
「シーアは預言者の偉大な教友たちを否定し侮辱している(*実際は全部を否定しているわけではない)」
「シーアはアーイシャとハフサ(預言者の妻でウマルの娘)を侮辱している(*個人的にはハフサに対しての悪口はあまり聞いたことはない)」
「シーアは(スンニーは)カーフィル(不信仰者)だ」
「シーアは預言者よりもアリーを讃えて崇拝している(*実際はシーアでなく、分離した別の宗派)」
etc
etc

...と、大方が論争して勝ち負けを争ったところで何になるんじゃい!という内容ばかりなんですね。

 確かに私もアリーが自分の権利について訴えていたこと(カリフ承認の際に人々に自分がガディールで後継者に指名されたことの証言を求めるなど)は知っているし、預言者は本当に後継者を指名していなかったのか?アブー・バクルやウマルの選出が本当に公正な協議・合意の上だったのか?と言われると疑問は残ります。そして、シーア派の成立に対しても「いやいや、それは違うよ!」と思うことも多々あります。

でも実際のところ、これらは全部どーでもいいことなんです。

 だって、これはもう千年以上も前に起こった過去のものであり、どちらのサイドについて本当はどちらが正しかったのか?を論争したところで起こってしまったことは変わりません。彼らはもうみんなこの世を去ったんです。
 カリフ権がアブー・バクルからウマル、ウスマーンへと引き継がれ、ウスマーンが暗殺され、反乱が起こりアリーも暗殺されて暗黒のウマイヤ朝が樹立された事実は変わらないし過去は変わらないんです。
 フサインを殺したのはどちらサイドであったのかを争ったところで、彼を殺したのはヤズィド軍で預言者の孫は信徒に殺された事実は変わらないし、歴史は変わらないんです。

 それに誰を正統カリフとして認めるかはあくまで政治的なものであって、信仰や宗教に関するものではありません。歴代の三人のカリフ達も正統と認めるのか、アリーを後継者とみなすのか、それはイスラームの信仰の原理原則、条件とは無関係であり、誰にも強制は出来ません。お互いに「自分が正しい!」を押し付け合うからおかしなことになるわけであって、アッラーはお望みなら真実を求めるものには開示しますからそんなん放っておけば良いんです。論争したところで分裂したものはもう元に戻らないんですから。
 大体シーアだろうがスンナだろうが、何だろうが第一は預言者が残されたクルアーンとスンナを正しく学び、預言者の言われた通りアハルル・バイトに従うことであり、自分がどこに属しくいるかはあくまで便宜上のもの、そもそも○○派が正しい、△△は間違っている、なんていう論議自体が不毛なんです。
 どこに属していたとしても、預言者が仰った通り「知識の門」から入り、きちんと彼らの足跡を辿らないなら皆滅びるんです
 「こっちが正しい!」「いや、こっちだ!」「お前らが間違っているんだ!」なんていう言い争い自体がそもそも下らないんです。基準はただ一つ、アッラーと預言者に従っているかどうかでマズハブなんて本来不要なんですって。

 でも...シーアもシーアでやっぱり中には(主にイ○ン、とエ○○トにも)「困った人たち」、いわゆる”ブサメン”がいるんですね。(ブサメンの詳細はひもくみさんの記事を参照)

例えば...ウマルの逝去日を祝う(゜o゜;)
スンナ派の三人のカリフ達をモスクで集団であからさまに呪う(゜o゜;)
宗教指導者がビデオであからさまに先代の3人のカリフとアーイシャはどこそこ(とても口には出せない)行きだと宣まう(゜o゜;)

 そりゃあね...そんなことをしていたらスンナ派がブチ切れて喧嘩になって溝が深まるのは当然です。
 そして、そういう一部のブサメン達のおかげで、ただシーアっていうだけでこっちまでそんな風に見られるのも非常に迷惑なわけで...
スンナ派にもスンナ派の大切言い分があって、それを尊重出来ないのに喧嘩ばかりふっかけてシーアが尊重されるわけがないだろーが、っていつも思うんですけどね。
(正直、某国でシーア派信徒が惨殺されたり、アンチシーアの風潮が漂っているのは絶対に彼らの素行が悪いからだと思う!)

 いくらウマルが嫌いだからってその逝去日を祝うのはないし”人として”おかしい(そもそもそういった行為はハラーム)。
 ウマイヤ朝ではウマル・アブドゥル・ラズィーズがそれを禁じるまで確かにアリーは公に呪われて侮辱されていました。そりゃあ先代のカリフ達やアーイシャとも色々ありました。
 でも、だからと先代のカリフ達を呪っても仕方がないでしょう。(少なくとも私達のイマーム=預言者の子孫たち、はそんな子供のやり返しのような低俗なことをやるような方々じゃないはず)

特に三番目。
 アーイシャがアリーを名前も言いたくないほど激しく嫌っていたこと、アリーにウスマーンの復讐と称してムアーウィヤと共に反乱(らくだの戦い)を起こした話しは有名ですし、歴史書なんかではアリー暗殺時は地に平伏して喜んで詩まで歌ったらしいですけどね。
 でも彼女、反乱後、メディーナに送り返された後は沢山のハディースを人々に伝えながら静かに暮らしていたわけだし、戦争への関与に関してはしばしば悔悟していたのだから、いつまでもとやかく言っても仕方ない。

 それなら私達は先達が(彼らとて人間ですから)仮に何か間違いをしたとしてもそれが赦されるように祈るのが筋で、誰かの死後についてジャッジするのはアッラーの領域のことですから、それをいくらイマーム(指導者)の代理人であったとしてもただの人間(宗教指導者)が勝手に踏み込んで誰其れはどこそこ行き、なんて言うことじゃないんですよ。


 ほんと、私もシーアですけどね、流石にこういう人たちは引くし、ちょっと...って思うんです。
(いや、だからってスンナ派の考えを強制されても困るんですが)

 あとはシーアでは認められている一時婚(ムトア)を悪用して私通のように扱う(一部の)男性陣。
 実はこの一時婚もその合法性についてスンナ・シーア間で論争になっているものの一つなのですが...(今回は詳しくは割愛します)
 この一時婚というのは永続婚と同じくきちんとルールと条件が定めれていて、権利の扱いについても規定があるのですが、どこにでも悪い人がいるようにそれをきちんと守らず悪用して私通に利用する輩がいるんですね。
 具体的な例がこちら→『エジプトのムトア婚』(ブログ・どこまでもエジプトより)
このブログに出てくるシーア指導者がやっていることは完全に非合法、ハラームです。そもそも彼がやっているのはムトアですらありません。ムトアは普通の婚姻と同じようにマハルだって贈らないといけないし、その額が期間の決め方にもルールがあるんです。
 自己解釈でスンナにかこつけて私通を正当化しているだけ。読めば分かりますが、それ以外でも「いや、あかんやろ!」ていう言動もちょこちょこありますよね。
 聞くところではスンナ派でも一部地域で一時婚(ミシャールと言います)による合法売春が問題にはなっているようなのですが、シーアが正しいと言っておきながらムトアを悪用してそんな私通を犯していては、そりゃあ「シーアはハラームなことをしている」と言われても仕方がない
(因みに一時婚については6代イマーム、ジャアファル・サーディクの「私は一時婚をする人々を忌み嫌う」という言葉が、アル・カーフィーなどに残されているので、法学上は制度として維持していて罪ではなかったとしても忌み嫌われるもの、と捉えた方が良さそうです。)

 そんなわけで、スンニとシーアのバトルはなにも政治的な問題でアンチがシーアを攻撃しているわけではなく、むしろシーアもシーアで中には悪い人がいて衝突しているということ、そしてそれがシーアの全てではないとうことが伝われば嬉しいです。

 次回は一時婚について、詳しくみていきたいと思います。
 それではまた来週。マァッサラーマ

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