イスラームにおけるもう一つの婚姻~ミシャールとムトア~

アッサラームアレイコム

 今日はイスラームにおける婚姻形態についてのお話しです。

 すみません、この記事は本当は先日の「シーア派の困った人たち」の続きだったのですが手違いの前後してしまいました^^;(次回は一時婚について、と書いていたのにどこいったんだよ!と思っていた方、もしいらしたらスミマセン)

 それでは、本題に入りましょう。実はイスラームには通常の結婚の他にもう一つ、スンナ派の”ミシャール”と呼ばれるものとシーア派の”ムトア”と呼ばれる婚姻形態があります。
  そして、このシーア派のムトアはスンナ派との論争の種で、両者の統合を阻む大きな障害の一つでもあるのですが... 

~ミシャールとムトアの違い~
 なぜ、論争の種になっているのか、の前にまず両者の違いを見ていきましょう。
 
 まずは、ミシャールについて。ミシャールというのは一般に「旅人の結婚」などと訳されているのですが、こちらは近年になってからサウジアラビアで社会情勢の変化によりイスラーム法をもとに新しく作られた婚姻形態です。
 そして、ミシャールでは通常の永続婚と違い、妻はマハルを受け取る権利や扶養される権利等を放棄することで、夫との同居や家事労働などの免除を受けます。これは結婚費用の高騰で結婚出来ない若者が増えたことや、結婚をしていないと社会的にも不都合が生じることから、これらの問題を解消する為の手段としてこのような形になっています。
 ミシャールには先述のものとはまた別に、子供を授かるまで、など期間限定のものや留学への付き添いの為など目的別に様々な種類があり、婚約期間としてミシヤールをする若者もいます。
 しかし、一部の地域ではこのミシャールと離婚を短期間に繰り返して売春行為を行う(ヒヤル、と呼ばれイスラーム法に適った複数の合法な行為を組み合わせることで本来、非合法である行為を達成させる手段をいいます)、婚外子が増加する、といった問題も生じています。

 次にムトアですが、こちらでは妻はマハルを受け取ることができ、契約の結婚期間が終わったあとは通常の結婚と同じくイッダ(待機)期間を置きます。この契約は妻となる女性が「○○のマハルをもって××の期間、あなたと結婚します」という旨を宣言し(マハルや期間の決め方にも条件があるようです)、それを男性が承諾することで成立します。(先述のミシャール婚には期間の定めはありません)
 どちらかが一方が死亡した場合の配偶者の遺産相続の権利等はありません。しかし、ムトアで子供が出来た場合はその子供には相続権があり(男性は認知しなければならない)、養育費などその他の権利も正式な永久婚で生まれた子と同様に与えられます。

 こうやってみると一見、ムトアも別に悪くないじゃない、という印象も覚えるのですが...現状としては一時婚は役所に登録がされないので合法的売春制度と化してしまっている側面もあり、男性が子を認知する義務を果たさない、若い男子がヤリ目的でムトアを繰り返す、貞操観念が低下する、といった問題を孕んでいます。
 
 具体的な例としては父親が子を認知しないことで子が本来受けられる権利(福祉や教育)を受けられない、一時婚のあと子供が出来たことが分かったが認知を受けられずに母子家庭となり経済的に苦しむ、といったことやムトアで愛人関係にあった女性が本妻を殺害した事件などもあり、シーア派(12イマーム派)が国教となっているイラン国内でも批判の声や法的に規制をし、抑制を求める声が上がっています。
(こちらのブログに一時婚について毎日新聞の記事内容が掲載されています。)

 ミシャールはもちろん、ムトアも使い方によっては有益な一面もあり(例えば、ミシャールのように婚約期間としてムトアをする、あるいは未亡人が家の中の修理に男手が必要だが、男性を家に入れることは出来ないので性交渉は無しで修理してもらう時間の間だけ一時婚で”夫”として出入りしてもらう、等)もともとは婚外交渉の罪から身を守る為のものでもあったようですが...
 現代においては実態として先に挙げたような問題も生じており、スンナだから「イコールOK」、と拡大解釈をするのは忌むべきことだと思います。

 
~ムトアに関する論争~
 それでは、次に”ムトア”がなぜ論争になっているのか?ですが、この一時婚自体は預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)の時代にも実際に行われてはいました。
 ただ、それが”いつ禁止されたか”で両者の見解で相違があり、論争になっているんですね。

 スンナ派ではそれは預言者の存命中にハイバルの戦いを機に禁止された、として不合法と見なしています。そして、シーア派では、一時婚が禁じられたのは預言者の死後、二代目正統カリフ・ウマルの時代である、というハディースを根拠に今でも合法と見なしています。
(どちらにしても個人的には女性としては快く受け入れられる制度ではないですが)

 そして、分かる範囲で調べてみたのですが...この両者の主張、どちらもサヒーフ(真正のハディース)に基づいているんですね。

アリー・ビン・アブー・ターリブは伝えている 。アッラーのみ使いは、ハイバルでユダヤ人らと戦った日、女性と一時婚の契約を結ぶこと、及び、家畜用ろばの肉を食べることを禁じた

・ラビィーウ・ビン・サブラ・ジュハンニーは、彼の父からきいて伝えている アッラーのみ使いは、一時婚を禁止し、「注意しなさい!この日以後、審判の日まで、このことは禁止されます。贈り物として、女性になにかを与えた者は、それを取り返してはなりません」といわれた。 

・ムハンマドは彼の父アリーよりきいて次のように伝えている 。彼(アリー)は、イブン・アッバースが、女性との一時婚の契約に賛同していることをきいた。それで彼は、「イブン・アッバースよ、軽卒なことをいってはならない。アッラーのみ使いは、ハイバルの日、一時婚と家畜用ろば肉を食することを永久に禁止なさったのだ」といった。(ムスリム)

ムハンマド・ビン・アリーは伝えている 。彼(ムハンマド)は彼の父アリー・ビン・アブー・ターリブがイブン・アッバースに次のように話すのをきいた。 
アッラーのみ使いは、ハイバルの日に、一時婚を契約すること、及び、家畜用ろば肉を食べることを、永久に禁止なさった


このようにアリーやその息子などを通じて明確に「預言者が禁じられた」と伝えられています。
それでは、次にシーア側の主張するハディースをみていきましょう。

ムサッダドは言った。 「ヤフヤーはイムラーン・アブー・バクルから、彼はアブー・ラジャから、彼はイムラーン・イブン・フセインから聞いて伝えたところによると、クルアーンのムトアの節に関しては、神の使徒(S)が生きておられた時、私達はそれを実践していた。使徒がお亡くなりになるまで、クルアーンの節を不法だとみなしたり禁じたりする者はいなかった。使徒の死後、或る人が意見を行使し、ムハンマドに帰させたのだ。それはウマルだった」(ブハーリ―)

・ジャービル・ビン・アブドッラーは伝えている。「私たちは、アッラーのみ使いの在世当時やカリフ・アブー・バクルの時代には、ひとつかみのなつめやしの実や麦粉を贈り物として、一時婚の契約を結びました。
しかしカリフ・ウマルは、アムル・ビン・フライスの一件を契機に、この制度を禁じました。」


・イブン・ジュライジュは伝えている。アターが、ジャービル・ビン・アブドッラーがウムラのためにやってきたと伝えたので、私たちは共々彼の宿泊所を訪れた。
丁度人々が集まり、彼に様々なことを質問していた。そして一時婚についても質問が為された。
これに関して、ジャービルは「確かに、この一時婚は、アッラーのみ使いの時代や、アブー・バクル、及び、ウマルのカリフ時代に私たちにとって役に立つ制度でした」と語った。

「私がジャービル・イブン・アブド・アッラーといっしょにいたとき、誰かが入ってきてこう言った。
 『イブン・アッバースとイブン・アル=ズバイルは二つの喜び(ハッジと結婚)について論争していました』 それでジャービルは言った。『私達は神の使徒(S)が生きておられた間、その二つを行いました。ウマルがそれを禁じるまでは。それから両方とも実践するのを辞めました』
(ムスリム)

 

 これらも前者と同じくムスリムやブハーリーなどに残されているサヒーフで、シーアの言う通りウマルによって禁じられており、預言者の存命中やアブー・バクルのカリフ時代には実践されていたことも分かります。
 またティルミディーにもこのようなハディースが残っています。

ハッジの喜びについて問われたアブド・アッラー・イブン・ウマルは「それはハラールだ」と答えた。
続いて質問者が「しかし、それはあなたの父親が禁じられたのではなかったか?」と言うと、彼は「神の使徒(S)が実践されていたことを私の父が禁じたのであれば、私はどうすればよいと思うか。父の命令に従うべきか、神の使徒(S)に従うべきか?」と言った。それで質問者は「もちろん神の使徒(S)の命令に従うべきだ」と答えた。

  このように、ムトアについては相反するハディースが残されており、スンナ派ではハイバルの日に預言者が禁じられたから違法、
対しシーア派ではムトアはスンナでありスンナの放棄は許されない、禁じられたのは預言者の死後ウマルによってのことだから合法だ、という主張が繰り返されているのです。
(このため、スンナ派ではシーアとはこの件については議論をしないように、といったことも言われているようで...。実際、議論しても水かけ論になるだけですしね。) 


  個人的にはスンナがどうだとか言う前に現状として社会的に問題が生じているのなら規制をかけちゃえば良いのに、と思うのですが...どうなることやら。

 それでは、また次回。来月はイスラームの「優れた女性」シリーズです。
 マァサッラーマ~

 

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