なぜシーア派はアリー(AS)にクレイジーラブなのか?


(shiawallpapers.pk)


アッサラームアレイクム

今日はアリー(AS)の話題です。
アリー(AS)と言えばスンナ派・シーア派両者でアハルル・バイトの
一員として特に敬愛され、唯一双方で認められているカリフですが、
今回はシーアの視点からイマームとしてのアリー(AS)にスポットを当てたいと思います。

「シーア」というと皆さんもご存知の通り、「シーアットゥ・アリー」が縮まったものであり、
シーアムスリムはとにかくアリー(AS)とアリー一族が大好き!!!です。
そして一日中アリー、アリーと言っているとか故ホメイニー師は生まれたときに
第一声で「ヤー・アリー」と言ったらしいといった話しもまことしやかに流れているのですが...

なぜシーアムスリムはあんなにもアリー(AS)を熱烈に愛するのでしょうか?
(因みに私も預言者の次にアリーラブ!ですが、それはもともとで別に「シーアだから」
ではありません。念のため。
シーアになる前から単純に勇猛果敢な武人タイプの人が好きなんです。)

それは、やはり預言者(彼と彼の家族の上に平安と祝福あれ)の諸々のお言葉が大きいでしょう。

「アリーを愛する者は私を愛し、アリーを憎悪する者は私を憎悪する。」
「アリーと私の関係は、ムーサーにとってのハルーンの立場に等しい。」
「私は知識の市場でアリーはその門である。知識を得たい者はその門から入りなさい。」
「私の生きるように生き、私の死ぬように死にたいと願う者は、私の後アリーに従いなさい。」
「私をマスターとする者はアリーをマスターとする。」
「私の後、ワリー(保護人)はこのアリーだ。」
「アリーは私から、私はアリーから。」
「アリーを愛するのは信仰者だけであり、アリーを憎悪するのは不信仰者だけである。」
「預言者としての役割(啓示)以外で全て私と同じように行えるのはアリーだけだ。」
「アリーを愛するのは信仰、アリーを憎むのは偽善。」
「アリーは現世でも来世でも私の兄弟だ。」
「世界の初めから終りまで、最も惨めなのはアリーを殺す者。」
「天国の樹トーバーは、アリーの館に根をおろし、その枝はアリーだ。」
「アリーは真実と虚偽を分ける。」
「アリーの手とわたしの手は正義において同じだ。」
「わたしの次にウンマで最も知識があるのはアリーだ。」
「アリーの名をだして、集まりを飾りなさい。」
「私とアリーは同じ樹から作られた。」
「わたしは警告者であり、わたしの後に導くのはアリだ。」
「親は子供に権力を持つように、アリーはウンマの権力を持つ。」
「クルフワッラーフアハド(彼は唯一神アッラーだと言いなさい)がクルアーンの規範であるように
アリは人々の規範である。」



などなど、アリーに関しては預言者が述べられた言葉は沢山残っているんですね。
(ブハーリー、ムスリム、ティルミディー、ムスナード、ナサーイー、バイハキー、ハーキムその他)

そして、こういった言葉に加えて、預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)は
別れの巡礼のあとガディール・フンムと呼ばれる湖の傍でアリーの手を取って
このようにおっしゃいました。

「私をマウラー(指導者)とする者はアリーをマウラーとする」

こう宣言し

私のあと、二つの重要なもの、クルアーンと私の子孫にしがみつきなさい

と述べたこと(サカラインの伝承)が決め手となり、シーアはアリー(AS)を
後継者と信じています。
(このガディールの伝承はスンナ派では長い間言及されず、
またオリエンタリストの偏見によってねつ造とされてきましたが、
多くの教友や歴史書、イブン・ハンバルの『ムスナード』などを通して
伝えられているものであり、両派ともで真正な伝承とされています。
サカラインの伝承も真正な伝承ですが、
スンナ派では「クルアーンと私のスンナ」と伝わっています。
またガーディルの伝承はスンナ派とシーア派では解釈が異なります。)

次にシーアがアリー(AS)にこだわる理由として
アリー(AS)の深い知識と預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)と
全く違うことのないイスラームの教え、スンナ があります。
先の伝承にもあるように、アリー(AS)は知識の市である
預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)に通じる「知識の門」であり、
預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)は知識を望むものは
そこから入るようにと仰っています。

またアリー(AS)は千の知識を預言者から授かったと伝えられているんですね。
 (「神の使徒(SA)が最後に息を引き取られる前、私に千章の知識を教示された。
その一章からはさらに千章が開かれる」『カンズ・アル=ウルマル』)
 
このことから、シーアではアリー(AS)は
預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)についで最も深い知識を持ち、
イスラームを正確に実践出来る人、”信者の長(アミール・アル・ムウミニーン)”として
これでもか!というぐらい深く尊敬します。

*因みにこの「アミール・アル・ムウミニーン」は元々はアリー(AS)に
個別に与えられていた尊称だったそうですが、後にその支持者が
二代正統カリフ・ウマルをそのように呼び始め、ウマルもそれを気に入ったことから
それ以来カリフには代々この称号が使われるようになりました。
(ウマル自身は、より謙虚に初代カリフのアブー・バクルよりも
更に己を低くして「ハリファート・ハリファート・ラスールッラー」
(アッラーの使徒の代理人の代理人)」と名乗っていたそうです)

 シーアとスンナ派については両者の違いをよく
「シーアは預言者の”血統”を重視し、スンナ派は”慣行・教え”を重視する」と
説明されており、私も以前の記事でシーアはアリー(AS)とその子孫が後継者と信じる、
と書いたと思います。
 シーアではイスラームの教えは代々、父から子へと受け継がれていきました。
シーアがその血統、預言者の子孫であるイマームを重視する背景には、
預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)からアリー、アリーからハサンとフサイン、
その後カルバラーで生き残ったザイナブやアリー・ザイヌルアービディーン(彼らに平安あれ)、
その子、孫と脈々と伝えられた「知識」があります。

 だからシーアは預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)から
受け継いだ知識とスンナを持つアリー(AS)と、アリー(AS)から
その知識を受け継いだ子たち、つまり「アリーとアリーの子孫(血統)」
こだわるんですね。

 アリー(AS)はシーアにとっては預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)に
次ぐ知識を持ち、預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)と共に浄化された方、
完全な模範となる人物です。
 そしてアリー(AS)を愛するのは義務であり、信仰であり、
アリー(AS)を愛し助けること、彼に倣うことは預言者を愛し助けること、
倣うことと同義なんですね。
 だからシーアはアリー(AS)を熱烈に愛し、ことあるたびにアリー、アリーと
言っているのです。

 今日はラマダーン月21日、アリー(AS)の殉教日です。
アリー(AS)はヒジュラ歴40年(西暦661年)ラマダーン月の19日の
朝の礼拝中にハワ―リジュのアブドル・ラフマーン・イブン・ムルジャム(アッラーの呪いあれ)
 毒を塗った剣に倒れ、その二日後21日にアッラーの元へと召されました。

それでは最後に『ナフジュル・バラーガ』よりアリー(AS)の逝去時の言葉の紹介です。

おお、皆の者よ、逃避したいと願うことに誰もが対面しなければならない。
死は生命が追いやられていく場所である。死からの逃避は死をつかむことを意味する。
このことの秘密を探し求めてどれだけの日々を費やしたことか。
だが、アッラーはそれを御許しにならないで隠されたままにした。
ああ、悲しや! それは大切に保存された知識である。
わたしの最後の遺言であるが、アッラーに関しては、かれと並ぶ者(配偶者)を信じては
ならない。
ムハンマド(彼とその家族の上に神の祝福と平安あれ)に関しては、彼のスンナを軽視してはならない。 この二つの柱を保持し、この二つの灯火をともしていなさい。
あなた方が分裂するまでは、悪魔はあなた方の許にやって来ない。
あなた方は皆、己の重荷を背負わねばならない。
無知の者のために光は維持されてきたのである。
アッラーは慈悲深き御方であられる。
信仰はまっすぐである。先導者(預言者)は知識の保持者である。
昨日、わたしはあなた方と共にいた。
今日、わたしはあなた方のための教訓の対象となった。
明日、わたしはあなた方から去る。
アッラーがわたしとあなた方を御赦しになりますように。

この滑りやすい場所で足が固定したままであれば、望ましいことである。
だが、足を滑らせてしまうのは、我々が枝の陰の、風が吹き抜け、雲が重なって広がる空の
覆いの下にいるからである。その雲の跡は地上で消える。
わたしはあなた方の隣人だった。
わたしの肉体はしばらくの日々、あなた方と一緒にいた。
まもなく、あなた方はわたしの体が抜け殻になるのを見よう。
動き回っていた後で身動きせず、しゃべっていた後で無口になった体を。
無言で目を閉じて動かないわたしの体は、あなた方への忠告になるであろう。
雄弁な語りや用意された言葉より、学び取る者にとってはより教訓になるからである。
誰かに会いたがっている人のように、わたしはあなた方から去る。
明日、あなた方はわたしの日々を考察するであろう。
そして、わたしの内面があなた方に開示され、わたしの場所が空いて他の誰かがその場所を占有した後、あなた方はわたしを理解するだろう。 

(ナフジュル・バラーガ 説教148
 http://www.geocities.jp/ahulal_bayt/nafjal-balaghah/nafjal-balaghah-top.html

彼の上に平安がありますように。


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