なぜムスリマになったのか



アッサラームアレイクム
こんにちは。毎日暑いですね。
ふと思い起こすと今年で改宗して5年。”ムスリマ”としてはやっと5歳、なんですが...
丁度良い区切りだと思い、今日は何を思って私がムスリマになったのか?を少しまとめたいと思います。
実際、人に聞かれると私の中では脱線して寄り道しながらも真っすぐ、神様を通じて自然な流れでイスラムに至っているので「なんでだろうね~」としか言えないのですが、順を追って書いていこうと思います。


~ミッションスクールで”神様”漬けな日々~
 メンバー紹介にも書いてありますが、私はずっとミッションスクール育ちで、いわゆる”神様”という存在にはもともと慣れてはいました。
 毎週ミサもあるし、クリスマスにはハレルヤハレルヤと歌い、毎日「父と子と聖霊との...」なんていうのを子供の頃から10年以上やり、でも家は代々仏教で法事やお盆の行事はもちろんやるし、田舎に帰ればお盆とお彼岸の前には地域ぐるみで墓掃除があり、お寺の住職も月参りに来るのでどこかしら木魚と鐘の音と共に「な~むあ~みだ~ぶな~むあ~みだ~ぶ...」と聴こえてくるような土地柄...という宗教が混在するミックスカルチャー(?)な環境で育ったんですね。

 そんなわけなので”神様”だとか”信仰”だとかいうものにはさほど抵抗はなかったのですが、私も人並みな思春期を迎えてデリケートだったので、色々と悩んで病んで「神様なんているか!」と無神論に陥った時期もあるわけです。
(いやね、神様にお仕えするシスターに対して堂々とレポートで「私は一切神を信じていない」とか出しちゃうぐらい喧嘩腰ですさんでいたんです...)


~”神様”がいない日々、から探求へ~
 そして私はしばらく”神様”から離れたまま(そして病んだまま)地元(と言っても私自身は住むのは初めて)の関西に戻ることになり、今度は宗教色の全く無い大学生活&祖母の家で日常的にどこかで坊さんのお念仏を聞き、阿弥陀さんにはお茶やらお仏飯やらを備えてそこそこ仏教色のある生活に入ります。
 ”神様”がいなくなった代わりに今度は“仏さん”との日々、だけどやっぱり”信仰”とは違うというか、単なる習慣に近い、宗教的には全くもってハリのない生活だったんですね。そしてまたちょっとずつ”神様”が恋しく感じるようになります。

 そんなこんなで私もすさんでいたところに更に色々なことが重なり、相変わらず病んでいたのですが、やっぱり”神様”のところに戻ろう、となったんです。と言ってもずっとカトリック漬けだったのでキリスト教を通じてなんですが。
 そして私はまた聖書を読んでみたり、また仏教の方も興味を覚えたのできちんと勉強しようとそちらも調べたりして、もともとの仏陀が伝えていたところの原始仏教と日本で私達が「仏教」と考えている大乗仏教との差、といったものを知るようになります。

 思想としての仏教の考えに共感した私はしばらく感覚的には仏教寄りにはなるのですが、「信仰」に結びつくまでには至らず、次にキリスト教も「一神教的」な神との関係はしっくりとは来るものの...何か違うんですね。
 実際に私も一時期、クリスチャンになろうかなとは思ったんですよ。ウン年ぶりにロザリオなんかも引っ張り出して祈ってみたり、でも心の中に秘めてはいても洗礼に踏み出す気にはなかなかなれず...唯一神との関係は心地よいのだけれど何かがしっくりこない状態だったんです。
 そんな中である時、仏教もキリスト教も根本的には言っていること同じじゃね?ということに気付きました。もちろん伝えている人と時代も地域も違うので枝葉の部分は全く別物なのですが、核の部分というのでしょうか、本質は同じだな、という結論に至ったのです。やっぱり万物は繋がっているのね...とその時思いました。
(これは改宗してから知ったのですが、アッラーはコーランや聖書に書かれている預言者たちの他にも全ての地域と民族に沢山のメッセンジャーを送っており、仏陀もその一人として預言者に準ずる存在なんですって。)

 そして私は一旦、仏教だとかキリスト教だとかの「宗教」の枠から離れて単純に「神」という存在を信じるようになります。 
 
*ここの項目、コンパクトに書いていますが、この状態に至るまで実際は大学入学から就職後までトータルで5年以上はかかっています


~”神様”再び。イスラームへ~
 そして私は神様は信じるもののキリスト教徒ではないし、イスラムでももちろんユダヤ教でもない、宗教は持たない状態に入ります。
 仏教はそもそも仏陀は拝む対象じゃない、カトリックは冷静によくよく考えたら三位一体ってなんか変じゃない?(この頃、私は色々な考察を経てイエスは間違いを犯さない完璧な人間だったのだろういう結論にいきついていました)かと言ってプロテスタントは神様(イエスでなく、天にいる方の神様ですね)はどこ行っちゃったの?状態だったんですね。(ユダヤ教は民族宗教なので除外)

 そんな状態になって少ししてからですかね、合気道つながりでモロッコの人とメッセンジャーのやりとりをするようになりました。改宗する何カ月か前ぐらいだったと思います。モロッコ人なので向こうはムスリム(イスラム教徒)です。ここで私は本格的にイスラームとの出会いを果たしました。(ある意味「運命の人」ですね、彼)


~ムハンマドとのやりとり~
 例のモロッコ人はムハンマドと言いました。よくある「ザ・ムスリム」なお名前です。
 そんなザ・ムスリム男子なムハンマドはやりとりを始めたころ、私に「あなたのSawaっていう名前、アラビア語でなんていう意味か知ってる?」と聞いてきたんです。もちろん、知りません。で、聞いたら「方言だけど”together”っていう意味なんだよ」と。これで私はアラビア語に興味を抱きます。今まで私の中で「アラビア語」といえば「ミミズみたいな字でにょろにょろ右から左に書く」「モスクに沢山装飾で書いている」程度のものであまりよく知らなかったんですね。(もともとアルハンブラ宮殿など、イスラム建築には興味はあって好きだったのですがアラビア語にまでは注意は払ってはいなかったんです。)
 
 ムハンマドは若く熱心なムスリムだったので国際交流や他愛のない話もしつつもある時は、どストレートに「あなたは神を信じる?」「コーランについてどう思う?」といった質問を投げかけてきて、色々な方法で私をイスラームへ誘います。

私「神様は信じている、だけどクリスチャンでもムスリムでもない」
ム「じゃあどうしてムスリムにならないの」
ム「コーランについてどう思う?」
私「イスラームがいかに発展した宗教だったかは知っているし、コーランも聞いてみてそれが神の言葉というのも納得はいく」
ム「アッラーは信じているんでしょ?」
私「もちろん」
ム「じゃあどうしてアッラーも信じるし、コーランもアッラーの言葉と認めるのにイスラームを受け入れないの?」

ってな具合で、ひたすらなんで?なんで?と質問を浴びせて私をイスラームへ誘う(というよりも軽く脅迫?)わけです。

 当時、私は改宗することに対してどう思っていたか、と言うと...改宗したい気持ちはありました。
 だけど、私にはイスラームというと偏見はないけどまだ「戒律が厳しい」というイメージもあったんです。あとは一人暮らしなのでお酒や豚肉を絶ちつつも改宗後の食事のことが気になったり、改宗しても日本だとへジャブ出来ないしな~仕事にも影響出るだろうし...みたいな思いもあったりですぐには踏み切れなかったんですね。
 
 そんなわけで私はモスクにコンタクトを取って服装のことやヒジャーブのこと、相談をすることにしました。 そして、モスクからも回答をもらい、色々な人の改宗記や日本人のムスリムが書いた本なんかももう一度読んでみて勇気が湧いたので、思い切って母に改宗したい旨を打ち明けました。

 母は戸惑いつつもムスリマの友人もいたので受け入れてはくれました(ハムドゥリラー)


~そしてムスリマへ~
 こうして私は2010年の5月、改宗をしてムスリマになりました。ムスリム男子と出会って、イスラームについて勉強し始めてほんの数か月のことです。(それまでとはえらい違い!)

 あれから5年あまり、ムハンマドとはその後お互いそれぞれ結婚して今はやりとりはありませんが、彼がくれたタジン鍋は活躍中です。(一度、私が結婚してすぐの時に来日してお土産にくれたんですよ。)
 まだまだゆるゆるムスリマで勉強の最中ですが、子供も生まれてイスラーム教育への責任の重大さとプレッシャーを感じつつもイスラームライフを楽しんでいます♪

 私のムスリマ名は「Hanifa」。ユダヤ教徒でもキリスト教徒でもイスラム教徒でもなく、ただアッラーのみを信じる純正な「ムスリム(帰依者)」だったイブラヒーム(アブラハムー彼に平安あれー)にちなんだ名前です。
 まだまだ道中ですが、いつかスンナだとかシーアだとかに捉われず「ただのムスリマ」としてただただ純粋にアッラーの道をいけますように...アーミン。

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