嘘をつくとどうなる?イスラームにおける舌の罪と聴覚の権利

アッサラームアレイクム
今日も引き続き、権利のお話しです。今回取り上げるのは「舌」と「聴覚」の権利について。
まずは前回と同じくイマーム・サッジャード(AS)の『権利の書』からこの二つはどのような権利を有しているのかを見ていきます。(http://www.geocities.jp/ahulal_bayt/kenri/kenri-top.html) 

舌を崇高なものとみなして卑猥な言葉を発しないようにし、良い言葉を習慣づけ、礼儀正しさを身につけなさい。信仰と現世に益となり必要とする状態にのみ使う。益にならないことの干渉には慎みなさい。害から守ることができず、得られるものはほとんどないのだから。 
舌は知性の証人であり証拠である。聡明な人の知性は、話し方が良いという評判を通じて示される。(舌と良い話し方は知性の装飾品である)至大至高の神のほかに偉力ある御方はない。 


聴覚の権利は、気高い言葉だけが心に入ってくるように清く保つことである。気高い言葉は、心に善を浸透させ、高潔な性質を形成する。誠に、聴覚は、善でも 悪でも、さまざまな概念が心に通じる入り口である。神のほかに偉力ある御方はない。〈別の伝承にはこう記録されている。「聴覚の権利は、悪口や合法でないことを聞かぬよう純粋に保つことである」



以前の「ラマダーン~聖なる斎戒月~」の記事にも書きましたが、ラマダーン中は斎戒の時でもあるのでイスラームでは禁じられている嘘や中傷、悪口などからは特に離れないといけません。
 同記事の「預言者の助言」 にもこうありますよね。
言わざるべきことから己れの舌を守れ。」「己れの耳に禁じられたものを聞かせないようにせよ。

『権利の書』には同時に私達は自分自身へ対する権利、義務として
あなたに義務とされた自身の権利は、神への服従に費やすことである。そのためには自身の舌、聴覚、視覚、手足、胃、陰部に定められた権利を守り、神の助けを求めなければならない。 

と説かれています。つまり、私達には自身の権利、義務として自分の舌や聴覚など身体が持つ権利を守らなければならず、耳が不合法なことを聞かないように、舌が不合法なことを言って罪を犯さないように、そういったものから離れないといけないのです。

イスラームでは嘘や舌にまつわる罪について沢山の伝承があります。

「もし、誰かが次の四つの性質を有するのなら、その人物は完全な偽善者であり、それらのどれか一つを有するのであれば、それをなくすまでは偽善者の性質を持ち続けるのです。(それらはすなわち)信頼されたとき、その信頼を裏切ること会話をするとき、嘘をつくこと合意するとき、それを破ること口論をす るとき、真実から背き去り、虚偽を語ること」(『ブハーリー』『ムスリム』)

例えば私達が非合法なこと(嘘、悪口、中傷など)を言うとそれは自身の舌の権利を侵害して罪を犯すことを許し、同時にその言葉を聴くことにより耳(聴覚)の権利を侵害することになります。 
誰かの悪口に加わってそれを聴くのも同様に耳の権利を侵します。

「悪口を聞いている者は悪口を言っている者と同じである」(イマーム・アリー)

また、これらの戒めは人づきあい、つまり友人選びにも影響をします。なぜならその人の信仰や道徳は周囲の人々にも影響されるものだからです。そして嘘は人々の間に不信と不和を生みだします。

「中傷をする人たちからの友情からは距離を保つべきである。というのもあなたの側で、他の人たちを悪く言う者は、やがて他人の側であなたをも中傷するだろうから」(イマーム・ジャアファル・サーディク)
「裏切り者、嘘つき、へつらい者、無駄口を叩く者、卑しい者、嫉妬を抱く者との友情は遠ざけられよ」 (『ビハール・アル・アンワール』)


私達が犯す大部分の罪は舌によるものであり、特に犯しやすい罪と言えます。

例えばこんな経験はありませんか?
― 人に○○について聞かれて、本当はよく知らないけれど咄嗟に知っているふりをしてしまった。
― 子供の時に食器を割ってしまったけど、つい「知らない」と言ってしまった。
― 友達と悪口大会で盛り上がってしまい、後で自己嫌悪になった。
― 誰かにあることないことを言われてひどく傷ついた。
― 友達や家族にひどいことを言って傷つけてしまった。
― 意地悪な友達にからかわれて悲しかった。 
― 他人に馬鹿にされて腹が立った、悔しかった。

聖預言者(彼とその家族の上に神の祝福と平安あれ)が言った。 
「あらゆるものの中で、舌はほかの何よりも長く牢獄に入れられるのに値する。(悪口、嘘、中傷、嘲笑、侮辱など、われわれの犯す罪のほとんどは舌によるものだからである)」(「ビハール・アル・アンワール)


このように舌による罪は私達の身の回りに山のように溢れており、その為に傷ついたり、誰かを傷つけたり、信用を失ったり、沢山の害を与えます。
自分が嘘をついていると他人も嘘をついているのではないか、と人を信じるのが難しくなり他者との信頼関係にひびを入れることにつながりますし、また嘘は人々を逸脱させ、火獄へと誘います。
なぜなら、一つの嘘は次の嘘を呼び、更にそこに嘘を重ね、人は嘘を繰り返すようになるからです。 

 「神は、嘘をつく人間には物忘れという症状をもたらす。だから、嘘をつけばそのことを忘れてしまい、後になって最初についた嘘に反する嘘をつき、人々の間で面目を失ってしまうのである」
 「嘘をつく人が害悪を被り、面目をなくす要素として神が定めているものは、嘘をついたことを忘れることである。なぜなら、嘘をつく人は、虚偽を述べたことを忘れ、そのことから面目を失うのである」(イマーム・ジャアファル・サーディク)
 「嘘をつく人は、虚偽を述べることで、3つのものを手に入れる。1つは、神からのお怒りであり、2つめは人々から侮辱されること、もう1つは天使たちからの叱責である。嘘をつく人間は、卑劣で醜悪である」(イマーム・アリー)

預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)もこのような言葉を残されました。
「正直さは敬虔さに、敬虔さは楽園へとつながります。人は神によって正直者であると記されるまで正直でなければなりません。嘘をつくことは逸脱につながり、逸脱は火獄につながります。人は神によって嘘つきであると記されるまで、嘘をつくものです」(『ブハーリー』『ムスリム』)
  
預言者(彼と彼の家族に平安と祝福あれ)は若い頃から「正直者」として知られ、敵にすらその誠実さを讃えられる方でした。
私達も罪から遠ざかり少しずつでもその誠実な人格に近づけますように。

それでは今日はこの辺で。マァサッラーマ



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