合気道 植芝盛平

こんにちは、Sawaです。
 先日からスターウォーズの記事でちょいちょい登場している合気道、
(過去記事はこちら!
スターウォーズに欠かせない、日本の○○道とは一体?!

今日は真面目に「合気道って何?」という部分をお話ししていきます。



合気道はいつ、誰が始めた?


まずはこちらの人物をご紹介しましょう。


立派な髭をたくわえたいかついおじいちゃん...
ではありませんよ。


こちらは合気道を学ぶ者なら誰もが知る合気道開祖・植芝盛平


合気道修行者には「翁先生(おうせんせい)」の名で親しまれています。


合気道はこの植芝盛平によって大正から昭和にかけて創始、
まとめられた「現代武道」です。

諸武術をひとまとめに...


大東流合気柔術をベースに剣や槍などの古武術の理合を
体系化して創られました。
合気道は「剣の理合」と言われ、剣術の動きを元にした動きが多数、
技の中に残されています。
こちらは「一人対多数」「素手対武器」を想定にしている為、
打撃(当身)、投げ技に極め技、固め技、
剣、杖などの武器技とその技術は多岐に渡ります。

(ただし、当身に関しては「打撃技」として修練するのではなく、
主に技の一環で相手を牽制する為に行います。
また、武器技は稽古する場所は限られており、
現在は殆どが徒手による体術が中心となります。)

大東流合気柔術って?

もともとは会津藩にて上級武士にのみ極秘に受け継がれていた武術で、
そのルーツは甲斐の武田氏を通じ、平安時代の後期にまで遡ります。
これは極秘に教授されていた為、門外不出でしたが、
明治に入り武田惣角によって広く世に知られるようになりました。
開祖、植芝盛平翁はこの武田惣角との出会いにより合気柔術を習得し、
また大本教の思想の影響も受けたと伝えられています。 


合気道は門外不出だった?



合気道...

今でこそ色々な所に道場があったり経験者と出会うこともあったり、
子供に習わせる親御さんも増えたりと(多少誤解されつつも)割と知られてはいますが、
合気道が今の我々が知る形になったのは実は終戦後。
それまでは名称も「皇武館」と呼ばれ、その子弟は皇族や華族、
軍人など一部の層に限られていました。

また、終戦後に開祖の息子・植芝吉祥丸 → 

によって整備、大衆化され昭和31年に初の公開演武が行われるまでは
民衆の目に触れることはなく、門外不出の武道とされていました。



争わずの精神...自らは攻撃しない。


合気道は「護身」を中心としており原則、自分からは攻撃はしません。
また、稽古は型稽古が中心で試合なども行わないのが大きな特徴です。
(一部では試合を行う流派や実践合気道といった形で
フルコンタクトで稽古を行う道場もあります。)

技は主に投げ技、投げてから関節を極める投げ固め技、
関節を極める極め技が中心。
その他には座り技や、一人が立ちもう一人が座って行う半身半立ち、
多人数掛けといった形態があります。


蹴り技がない


合気道には蹴り技はありません。
また、柔道のように寝技を行うこともありません。

なぜ蹴り技や寝技がないか?

はっきりとは理由は聞いたはことはないのですが...
合気道は先述の通り「素手対武器(剣)」や「一人対多数」が想定にしています。
ですので剣を持った相手に蹴りを入れに行ったら脚を切られるし、
寝技などしようものなら転がっているところをボコボコにされるので
理に適わないから、と考えられます。
ただ聞いたところでは「相手からの蹴り」に対応した技というものはあるようです。
(実際に稽古では見たことはありませんが、
海外の合気道演武のビデオなどでは時々見かけます。)
 

 得物は指導者次第


武器は短刀、太刀、杖を扱いますが、武器技は指導者の考えにも
左右されるので昇段試験以外では行わない所が多いです。
(ですので私も昇段の際に短刀取りはしましたが、太刀や杖の扱いは
主に参段、四段以降というのもあり、自主練以外ではあまり経験がなく・・・
だから杖は憧れなんです。) 

さて、今日はさらっと概要だけお話ししましたが、
これからも少しずつ私の意見も交えながらお話ししていけたらと思います。

 それではまた!

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