お腹がぎゅるっと来たらこれ!おなかのお守り正露丸の由来は何だろう?


私の正露丸との出会いは、昨年の10月のマレーシア旅行の時でした・・・・・・。


それ以前の私はまさか正露丸にあんなにお世話になるなんて思っていなかったです。

お腹なんて壊さないって~!!って思っていた私だったので(笑)

マレーシアに行くのは二度目だし、前回は3週間もいたのに

一回もお腹を壊さなかったんですよ?←

でも、見事に旅行一日目でお腹を壊したんです(笑)

私含め、友人はホテルではなく、

ちょっと市の中心から離れた友人の家にお邪魔させてもらっていました。

ですから、地元の屋台で食事をしました。

それが、いけなかっただなんて・・・・・・・・・・・・・・・・・・。






食事は前回の

 3カ国の料理が楽しめるマレーシアの食事!!


で書かせていただいたように、とってもおいしいです。でもお腹が・・・・・・・・・・><

水が原因だった気がします。

ミロを飲んでぎゅるぎゅるってお腹に異変を感じて、

トイレに行きたいって気持ちが止まらなくなりましたから(笑)

そのとき、友人が持っていた正露丸を友人と一緒に飲みました。

そしたらちょっとトイレに行きたい欲が和らぎました(笑)

前置きはこのくらいにして、、、


私はふと、正露丸の由来は?と気になりました。

今まで気にもしなかったから知りませんでした。


正露丸の由来は?





カンボジアに先日旅行に行った際に、

趣味がカメラのおじちゃんに正露丸についていろいろお話をお聞きしました。

私が友人に正露丸をあげているのを見て説明したくなったそうです(笑)


カメラおじちゃんは、

「これはね、日露戦争の時に、日本軍が戦地で食べるものがなくて、なんでも食べてお腹を壊すからこれを飲んでいたんだ~~~。漢字はね、「正」ではなくて「征」だったんだよ。ほら、ロシア(露)を征するからだ!」

と言ってました。

そ、そうなの!?!?


ここからは大幸薬品の製品情報から簡単に紹介させていただきます。



日露戦争直前の1902年に大阪の薬商「中島佐一薬房」は

木クレオソートを主成分とする丸剤に「忠勇征露丸」と名付け販売許可を得たそうです。

1902年というと、日英同盟を締結した年で、ロシアとの緊張関係が高まっている状況でした。

一方大日本帝国陸軍では、1904年に開戦した日露戦争の間、

胃腸薬として使用されていた木クレオソートの丸剤に「征露丸」と名づけ、

軍人全員に服用を命じていたとの記録が「明治三十七八年戦役陸軍衛生史」に残っています。

その後、第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)に大幸薬品は、
中島佐一薬房から「忠勇征露丸」の製造、販売権を継承したそうです。

その後、「征」から「正」へ名前を変え、

大幸薬品では1959年に「正露丸」の商標登録を行ったそうです。

国際関係上、ロシアを征するは良くないという事で変えたそうです。

正露丸は日露戦争前から、100年以上にわたってある商品です!

ふむふむ、、

カメラおじちゃんの言ってることいい筋いっていました。

おじちゃんありがとう~


そうそう、カメラおじちゃんはね、

正露丸は菌を殺すからだめだ~~!あまり飲むな~!

と言っていました。

製品ページを見てたら、見つけました(笑)

お腹の菌を殺さないの?って←

主成分である木クレオソートは、

もともとは1830年にドイツで木タールから分離され、

その当時は化膿症の治療や外用消毒薬として用いられていたそうです。

その殺菌作用から、食肉の防腐剤、鎮咳剤、肺結核にも用いられていたとか。。。

その後に胃腸疾患の治療に使われるようになりました。


このような過程から、

木クレオソートを主成分としている正露丸は消化器官に対して、
殺菌することで効果を発揮しているという仮説が生まれました。


さまざまな薬理学の教科書においては、
木クレオソートは殺菌作用による下痢止め薬に分類されています。

しかし、最新の研究では、
腸のぜん運動を正常にし腸管内の水分調整機能を調整する働きがあることが明らかになったそうです。

この働きによって、小腸や大腸を安静に保ち、下痢や軟便を改善することが分かってきました。

お腹の菌を殺さずに下痢を改善している!!

困った時は正露丸にお願いしても良いかもしれませんね( *`ω´)

でも、瓶に入れたまま持ち歩いたほうがいいかもしれません。

私はカバンに小袋に入れて持ち歩いていたら、今でも正露丸の幸せな香りがします笑


カメラおじちゃんが言ってたように、薬ですから、あまり飲まないようにしよう~

緊急事態の時だけ!!にしようと思いました。

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