ヒジャブは抑圧?選択?本当はイスラムだけじゃない!



アッサラームアレイクム!

今日はイスラム女性が身につける”ヒジャブ”についてです。
こちらは女性の抑圧と言われたり、フランスやベルギーでライシテの精神のもと公共の場で着用が禁じられたり、はたまたイスラム圏の国ですら学校での着用が禁じられて抗議行動も起こったりと何かと物議も醸し出しているのですが...
果たしてヒジャブは抑圧なのか?女性の選択なのか?なぜイスラム女性はあのように髪を隠すのかを探っていきたいと思います。
 



因みに...ヒジャブに関して、私自身については好んで日頃から着用をしていますが、ヒジャブ自体が抑圧であるのか選択であるのか、という点についてはどちらも間違ってはいない、と思っています。
要は被りたくない女性は被らない、被りたい女性は被る、がそれぞれ保障されず、そこにさらに文化的な要素も合わさってくることによって生じる問題がヒジャブ論争でもあり別にヒジャブそれ自体が悪、というわけではないと思うのです。

そもそもヒジャブって?

まずヒジャブというのは「覆うもの」という意味なのですが、実はクルアーンの中も美しいものは隠すように言われているだけで明確にはされておらず、またどのような形状、どこまで覆うのか、顔は隠すのかといったところまでははっきりとした記述がありません。
元々は預言者の妻と一般の信者を隔てる仕切りから始まり(平安貴族の御簾のようなものですね)、彼女達が着用をしていたベールが一般の女性信徒にも妻たちに倣おうと広まったものでもあり、現在でもヒジャブの形状や範囲には解釈に差があるようです。


”それから女の信仰者にも言っておやり、慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には蔽いをかぶせるよう。”(クルアーン24:31)

また、イスラームは元々が砂漠の厳しい環境下で興った宗教でもあるので、強い日差しや砂嵐から女性の身体を守る、という文化的な側面もあります。

ヒジャブは義務なのか?

前述の通りクルアーンには明確には定められてはいませんが、ハディースでの預言者の発言なども照らし合わせると原則義務といえる、のではないかと考えられます。
ですが、義務といっても強要は誰にも出来ませんし、被るか被らないか、顔まで隠すのかはその人とアッラーとの個人の問題であり、最終的には女性に委ねられている部分もあります。
(ただし場所によってはイランやサウジアラビアのように法律で義務づけられている国や、社会通念上ヒジャブをするのが当たり前で被らないことが許されない地域もあります)
ですので、イスラム圏でも地域によって女性の装いは様々ですし、場所によってヒジャブをすることで逆に人の目を引く、着用をすることで何がしかの障害や制約が生じる、危険が伴う可能性がある等で被らない選択も当然あり得るのです。
(例としてヨルダンのラニア王妃のように自分の考えの元、普段は被らないが公務や目上の方を訪ねる時は着用したり、日本のように非イスラーム圏で暮らす上でヒジャブではどうしても目立つので、肌や身体のラインは出さないが髪は隠さない、というように被らない選択をする人もいます。)

なぜヒジャブをするの?

一言で言うと「女性を守る為」にアッラーに命じられているからです。でもこれでは説明にならないので、もう少し詳しく話していきますね。

女性が肌や身体のラインをむやみに露出させた服装はその女性を性的に軽く見せます。
例えばショートパンツにノースリーブの女性が痴漢にあったとしたら(勿論一番悪いのは痴漢をした犯人ですが)「だったらそんな格好をしなければ良いのに」と思う人も少なくはないのではないでしょうか?
或いは、よく車の展示会やレース会場、その他色々な場所で出没するビキニ姿や短い衣装を纏ったセクシーな格好の女性達。彼女達の装いやその女性を鼻の下を伸ばしながら眺める男性に良い気分がするでしょうか?

イスラームでは男性は誘惑に弱い生き物とされています。そのため、男性はむやみに女性を見つめないように、女性は必要以上に露出をして男性を刺激しないように定められているので

”男の信者たちに言ってやるがいい。「(自分の係累以外の婦人に対しては)かれらの視線を低くし,貞潔を守れ。」それはかれらのために一段と清廉である。アッラーはかれらの行うことを熟知なされる。” (クルアーン24:30)

女性が身体のラインや肌を露出をさせると、男性はいやらしい気持ちがなくてもついつい目がいってしまう、または目のやり場にこまる、ということもあるのではないかと思います。
女性も自分では普通の格好をしているのに男性にジロジロ見られたら良い気分がしないですよね?
身体を覆い、慎ましくするというのは、必要以上に異性からの注目を集めずに不快な思いをしない為でもあるのです。

また、女性が身体を覆うと人は彼女の体ではなく、その人の考えや人柄など内面を見るようになります。
私たちは誰も、相手にきちんとした印象を与えたい時にミニスカートや短パンは履かないし、半そでやノースリーブ、胸元が大きく開いた服は着ません。
それは肌の露出や身体のラインを強調した服装は時にいやらしく、女性を軽く見せますし、男性も同様に肌を露出させることはだらしがない印象を与えるからです。
つまり、ムスリマにとってヒジャブをしたり長い衣を着たり、というのは男性から性的な視線を避けるだけでなく、周囲に慎みがありきちんとした女性である、ということを示す意味もあるのです。

これは私の個人的経験なのですが、モスクに入る時に時間帯によって入口付近で男性たちがたむろしている時があります。
そういう時にヒジャブをした私が近づいてくる姿を認めるやいなや彼らは目を伏せてサササーッっと後ずさって女性のフロアに通じる階段まで道をあけてくれるんです。そう、まるで花道のように(笑)
これ、とても気分が良いんですが、モスク以外ではなかなか経験が出来ないです。
また、ハラ―ルショップで買い物をするとお釣りなどを渡すときに男性の店員は女性の手に触れないように注意をして渡してくれますし、神戸のムスリムが多い地域だとムスリムとおぼしき男性がそれとなく道をあけてくれるなど紳士な振る舞いをしていることに気づきます。 
このお釣りの話し、些細なことですが、これがノンムスリムの普通の男性だと手が触れても気にしなかったり、人によっては空いた方の手で下からお釣りを受ける手を握るように渡してくれる方もいたりして、女性にとってはお釣りを渡すぐらいで必要以上に手を握られるって気持ちの良いものではないと思うのです。

女性がヒジャブをするのは男性から身を守る為であり、なんで女ばっかり男の為に気を遣わないといけないの?とも思うのですが...ムスリム男性は男性も男性で女性には握手をしない、自分もむやみに肌を見せない、など彼らなりに女性に配慮をしています。
逆にノンムスリムの女性がイスラーム圏に旅行に行って日本と同じような格好をしていると男性たちにジロジロと眺めまわされたり、これでもかというぐらい凝視されたり、不快な思いをしたが現地の服装に合わせると途端に態度が一変した!という例もありますよね。
これはやはりイスラームでは男性も女性も慎み深くきちんとした身なりをし、男性もそのような女性に対して失礼なことをせず大切にする、という価値観が浸透していることが考えられます。

“実に、全ての宗教にはそれぞれの特徴があり、イスラームの特徴はハヤー(謙虚さ、謙遜、羞恥心)なのである。” (イブン・マージャ 4172番)

冒頭にクルアーンでの美しいものは隠すように...という節を紹介しましたが、イスラームでは女性はしばしば金や真珠に例えられ、守るべき美しいもの、とされています。
真珠は荒波などで傷がつかないように貝の中に入っていますし、一般的に人は貴重品や希少なものは人目のつく場所に置いたり、むき出しにして置いておいたりはしませんよね。
この為、女性は美しいもの、金や真珠のように大切なものなので、その大切な女性を強い紫外線や砂嵐、不埒な男たちから視線や性的な暴力から守る為に女性はその魅力である髪をヒジャブで隠し、 身体のラインが露にならないようにするのです。

ヒジャブは身分証

さて、今までヒジャブは女性を守り、きちんとした女性であることを示す意味があるとお話をしました。それはヒジャブやイスラームのドレスコードは女性を男性から守るのと同時にある種の身分証のような役割を果たすからです。
人は見た目にはよらないので見た目がギャルでチャラチャラしていても実は古風で真面目だったり、質素な身なりをしていて清楚に見えても実はイケイケだったり...と
私たちは見た目や身なりではその人がどのような人かまでは分かりません。

ですが、もしある女性が長い服を着て、ヒジャブをしていればその人がムスリマであることは一目瞭然なので、その時点で彼女が男遊びをしたりお酒を飲んだりギャンブルをする女性ではないことが彼女の身なりから容易に判断できます
また、女性側もヒジャブをしていればそれが制服のような役割を果たすので彼女自身もムスリマに相応しい立ち振る舞いが求められ、自ずと罪から遠ざかるようになります

このことから、ヒジャブは女性を守る盾であると同時に、その人がどのような女性であるのかを示す身分証にもなるのです。

実はベールは色々なところに...

ヒジャブのように頭部を覆うのはイスラムだけ、と思っている方ももしかしたら多いかも知れません。
ですが実はキリスト教にもユダヤ教にも女性のベールがあります。キリスト教では聖母マリアもベールをしているし、(最近は着用されないシスターも多いですが)修道女もそうですよね。
ユダヤ教のものは”tichel”と呼ばれ、既婚女性は髪を隠す為にウィッグを被ることもあるようです。



新約聖書では女性は被り物をするように、被らないなら剃りなさいともあり...

 女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。女が頭に物をかぶらないなら、 髪の毛を切ってしまいなさい。女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。男は神の姿と栄光を映す 者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだ し、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからですだから、女は天使たちのために、頭に力の印をかぶるべきです。”(第一コリント人11:5−10)

 二世紀のキリスト教神学者テルトゥリアヌスは

 “乙女よ、あなたがたは道端でベールをまとうのだから、教会でもそうしなさい。あなたがたは他人といるときにそれをまとうのだから、兄弟たちといるときもそうしなさい。

と女性にベールを被ることを求め、中世ヨーロッパでは既婚女性はウィンプルと呼ばれる頭巾を被るなど、女性が髪や頭部に覆いをするのはイスラーム以前も、非イスラーム文化でも見られ、イスラームに限ったことではない、ということが判ります。

日本でも昔は高貴な女性は外出時は頭からすっぽり被る「被衣(かづき)」と呼ばれる着物や、虫の垂れ衣と呼ばれる布を垂らした市女笠を被ったり、それ以降の時代でも日本人女性も外出時は何かと被り物をしていました。
女性がむやみに顔を出さず、露出をしないのはその女性の地位を示すものでもあったのです。

番外・ヒジャブはお洒落なファッションアイテム!

興味がある方は是非検索をして見て頂きたいのですが、実は最近ヒジャブはお洒落アイテムとして若いムスリマ達に広まっています。
こちらは雑誌の表紙なのですが写真の女の子達、どれもカラフルで可愛らしいしお洒落ですよね。
このように今はヒジャブを通してお洒落を楽しむ女性も多く、必ずしもみんながみんな黒い服、黒いスカーフを着せられて自由を奪われているわけではないのです。

 

また...ヒジャブは女性の美しさを隠すためにするものなのですが、実はヒジャブをすると小顔効果か美人度が増すアイテムであります。 
ベリーダンスなのでベールを纏って、時には顔も隠しているようなダンサーって妖艶だし眼力アップで綺麗だと思いませんか?いわゆる「マスクをすると美人度が増す」っていうアレです。
興味がある方は一度、自分の顔に合った綺麗な布を巻いてみて下さい。きっとパッと印象が変わると思いますよ^^

それでは、マァサラーマ~



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